♪戻れぬ時間
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田染荘(たしぶのしょう)−国東半島を訪ねて(11)
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国東半島の、湾曲した首根っこの真中当たりにある豊後高田市の内陸部・田染地区は、国宝富貴寺大堂や真木大堂をはじめ多くの文化財に恵まれた「仏の里」です。ここは、宇佐神宮領の「本御荘十八箇所」と呼ばれる根本荘園の一つでした。宇佐神宮は平安時代の終わりには、二万町歩を越える荘園を所有する全国屈指の荘園領主で、田染荘はその中でも最も重要視された荘園でした。そのなかでも、田染荘の発祥の地であり、中世の動乱のなかで武家勢力の進出、それに対する巻き返しなど政治抗争の場となりながら形成された小崎(おさき)地区は、集落の位置や水田や周囲の景観を荘園当時のまま残す貴重な文化遺産となっています。千年の時を刻む水田を小崎荘園保存地区に訪ねました。                          (旅した日 2005年06月)
■レポート ・田染荘(たしぶのしょう)併せてご覧下さい。

田染荘
田染荘・小崎地区至る道の両側はやはり奇岩奇峰に囲まれています。訪れた日の午前は、小雨が降っていて奇岩奇峰も煙っていました。
植えて間もない水田とそれを見守る民家。日本の農村の原風景も雨に煙っていました。


お田植祭
小崎荘園の水田を見下ろす高台にコミュニティ施設があります。その隣りの水田では、つい最近「お田植え祭」が行なわれたようです。

小崎荘園保存地区
千年の時を刻む小崎地区の水田も雨に煙っていました。背後の山が日本三叡山のひとつである西叡山(さいえいざん)。写真中央のやや右下に白く小さく見えるのが、雨引(あまびき)神社の案内板。

やがて晴れて
午後から雨が上がったので、再度小崎・荘園の里を訪れました。すっかり初夏の様相です。小崎荘園では、地形を利用して様々な曲線を描きながら不揃いな形をした水田が開発され、それを今に伝えています。


雨引(あまびき)神社
江戸時代の天保14年(1843年)に建立された水神様石造りの鳥居に、天保14年の銘がありますが、元禄2年(1689年)の村絵図には堂祠として確認されていることから、もっと早い時期から何らかのお堂が存在したと考えらています。743年の墾田永年私財法の成立により、開墾した水田の私有が認められるようになり、この雨引き神社鳥居の前から湧き出す湧水を利用してこの小崎地区の水田開発が始まったとされています。雨引神社は今でも荘園の里の水田の守り神として里人に深く信仰されています。
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文殊仙寺天念寺と川中不動岩戸寺田染荘長安寺  レポート ・国東六郷満山
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