♪Prologue
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富貴寺−国東半島を訪ねて(3)
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富貴寺 (ふきじ)は、豊後高田市蕗(ふき)にある天台宗の寺院で、六郷満山・本山(もとやま)本寺の一つであった西叡山高山寺の末寺とされています。「宇治の平等院鳳凰堂」や「平泉の中尊寺金色堂」と並んで、日本三大阿弥陀堂の一つとされる国宝の大堂(おおどう)は、近畿地方以外に現存する数少ない平安期の貴重な建築として知られています。寺伝によると、養老2年(718年)仁聞菩薩(にもんぼさつ)の開基と言われますが、現存する大堂は平安時代後期(12世紀)宇佐神宮大宮司の氏寺として建立されたと言われ、天台宗寺院にしては、浄土教色の強い建物です。名のある大堂ですが、とりたてて観光客を意識することもなく、自然体で佇(たたず)んでいるのがいかにも国東半島らしいです。内部は写真撮影できませんでしたが、大堂には本尊阿弥陀如来坐像(国宝・重文)が安置されています。                   (旅した日 2005年06月)
富貴寺大堂(国宝)
平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総榧(かや)造りで、三間四間(柱の間が三つと四つ)の建物で、周囲に廻縁(まわりえん)があります。簡素な形、優雅な屋根の線がどっしりとした安定感を与えています。                  

石像
「笠塔婆」(写真下左)は、柱上の塔身上に笠石、宝珠を置く石像です。鎌倉時代の僧侶広増によって建立されたといわれます。「国東塔」(写真下右)は、国東地方に特有の形式だということで命名された名前です。参道の上り口左側には、石幢(せきどう)が建てられています(写真上右)。石灯籠に似ていますが火袋がありません。六面に六地蔵を刻んだもので江戸時代のものと言われます。

仁王門
富貴寺・大堂への参道の中ほどに門があって、右側に阿形(口を開いた像)、左側に吽形(うんがた=口を閉じた像)が置かれ、高さはそれぞれ120cm程度です。室町時代の作と言われます。吽形の表情がとてもコミカルなのが印象的でした。


宿坊
仁王門をくぐって右手に宿坊があります。
宇佐神宮熊野磨崖仏富貴寺両子寺青宇田画像姫島キツネ踊り旧千燈寺跡
文殊仙寺天念寺と川中不動岩戸寺田染荘長安寺  レポート ・国東六郷満山
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