♪麦や節
富山県民謡(MIDI)
相倉〜五箇山を訪ねて(1) − 富山県南砺市
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五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺(なんと)市の旧平村、上平村、利賀(とが)村を合わせた地域の総称で、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の5つの谷からなるので五箇谷間、これが転じて五箇山の地名となったと言われます。秘境の地であると共に有数の豪雪地帯のため、急傾斜の大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれました。今も平村の相倉(あいのくら)地区に20戸余り、上平村の菅沼地区に9戸の合掌造りの家が残っており、隣接する岐阜県白川村の白川郷と共に、『白川郷・五箇山の合掌造り集落』として世界遺産に登録されています。国道304号の相倉口バス停から曲がりくねった坂道を南へ500mほど登れば、標高400mほどの段状平坦地に相倉(あいのくら)合掌造り集落があります。 (旅した日 2006年05月)  

  相倉(あいのくら)合掌造り集落 〈世界遺産〉
南北約500m、東西250mの細長い平坦地に戸数21戸、80人の人々が暮らしています(2004年1月1日現在)。

   五箇山民謡・『麦や節』

五箇山は平家落人伝説の地
でもあります。700年の栄華をきわめた平家一門が、倶利迦羅(くりから)が谷の合戦を始め、打ち続く合戦に敗れ、隠れ場を探してたどり着いた地が五箇山でした。平村、上平村の地名は、平家の"平"に由来すると言われています。

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『麦や節』のメロディーが流れてきます。

山仕事や農耕の合間に、往時を偲んで唄い踊ったのが『麦や節』であると言われています。歌詞には、
「浪の屋島を遠く逃れ来て、烏帽子狩衣を脱ぎ捨て、今は・・・」とあり、素朴な農作業の情景と共に、落武者たちの思いが唄われている民謡です。

早いテンポの中に哀調あるリズムで、踊りは、黒紋付袴(はかま)に白襷(たすき)、白足袋といういでたちで踊る、静と動の対比を強調した男踊りだそうです。


五箇山は『民謡の宝庫』とも言われ、その他に、こきりこ節、五箇山追分節、といちんさ、お小夜節など、歴史のロマンに満ち溢(あふ)れた民謡が残されています。

現在、合掌造りの建物が新旧民家と寺、道場、合掌小屋を合わせて24棟あり、そのうちの民家11棟には
今も人が住んでいますが、
旧民家10棟の空家があるそうです。

この地方では、合掌造りを「ナムアミダブツ建て」と言っていたそうです。両手を合わせて合掌礼拝する形からでしょう。
集落には約450年前に創始された相念寺というお寺があり、熱心な真宗信仰の地でした。

平成7年(1995年)12月、相倉合掌造り集落が世界遺産に登録されたことによる観光客の増加や高齢化・過疎化の
進行によって集落維持保全活動が危惧され、保存対策の充実が求められてきました


そこで、保存組織として、(財)世界遺産相倉合掌造り集落保存財団が設立されました。

世界遺産地域の保存、世界遺産地域を守る人づくり、世界遺産地域の学術的調査に関する事業や
広報、村有施設の管理運営受託事業などが財団によって行なわれています。

「世界遺産相倉合掌造り集落保存協力金」として普通・軽自動車で300円の駐車料金が徴収されています。

上の写真が『相念寺』です。昔は「東方道場」と呼ばれていました。「道場(どうじょう)」というのはムラの浄土真宗の
門徒が集まって仏事を営むところです。 
【参考】説明文は、相倉合掌造り保存財団の公式ホームページ を参考にして書きました。

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