レポート  ・国東六郷満山   
− 国東六郷満山 −

国東(くにさき)半島は、大分県の北東のかどにあって、その四分の三を瀬戸内海に突き出した直径約 30kmの円錐形の半島です。
 
そのほぼ中央に標高 721mの両子(ふたご)山と、標高 617mの文殊(もんじゅ)山がそびえ立ち、それらの山を中心に険しい奇岩奇峰の谷が四方八方に海岸までのびています。国東半島は、まさしく交通不便な「陸の孤島」と言われてきました。
 
放射状にのびる国東の谷々は、来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・阿岐(あき)・武蔵(むさし)・国東(くにさき)・伊美(いみ)の六つの里に分けて、『六郷』と呼ばれました。
 
この六郷に開かれた天台宗(最澄が比叡山に延暦寺を開山)寺院全体を総称して六郷満山と呼び、奈良、平安、鎌倉時代より、宇佐八幡の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成されました。往時には、半島一帯に寺院、洞窟、僧坊を含めて約 800の大小の堂や石仏・石塔が点在したと言われます。
 
国東半島の各寺のパンフレットを読むと、どのパンフレットにも「養老2年(718年)、仁聞菩薩(にんもんぼさつ)により開基」とあります。仁聞菩薩は、六郷に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれます。
 
しかし、仁聞菩薩を実在の人物とする説もありますが、宇佐八幡神そのものを人格化したものであるという説が有力で、平安中期(1000年代)以前までの六郷に関する歴史は伝承の世界の域を出ないようです。
 
六郷が、天台宗の山岳信仰として、その性格を見せ始めるるのは、11世紀の終わりから12世紀だといわれます。真木大堂(おおどう)や六郷山の惣山だった屋山(ややま)寺(現長安寺(ちょうあんじ))などのすぐれた仏教遺物は、この時期の作といわれ、六郷の特徴である三山組織の原型が出来上がったのもこの時期です。
 
六郷の寺院は、学問の地である本山(もとやま)、修行の地である中山(なかやま)そして布教の地である末山(すえやま)の3つのグループに分けられました。本山・中山・末山の三山組織のことを『満山』と言い、したがって『六郷満山』とは、国東半島の六郷に開かれた天台宗寺院全体を総称して呼ぶ言葉です。
 
六郷満山は、本山(もとやま)本寺8ヶ寺、中山(なかやま)本寺10ヶ寺、末山本寺10ヶ寺の28ヶ寺の本寺のほかに、37ヶ寺の末寺、合計65ヶ寺からなっていたと言われます。
 
              六郷満山の本寺と末寺の数  
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                 三山組織        本寺数  末寺数   合計
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         本山(もとやま) − 学問の地 − 8ヶ寺  
 六郷満山  中山(なかやま)− 修行の地 − 10ヶ寺  37ヶ寺  65ヶ寺
         末山(すえやま)− 布教の地 − 10ヶ寺
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〔支配体制〕・執行−権別当−院主−坊主
 
これらの三山は、六郷満山執行によって統括され、さらにそれを補佐するものとして、3人(三山の各山代表と思われる)の権別当が置かれていました。六郷満山は、この執行・権別当の支配体制の下、比叡山無動寺の末寺となって発展しました。
 
各寺は、院主と呼ばれる僧が寺を取り仕切り、寺の活動は、一つの寺に数戸から十数戸ある坊と呼ばれる僧侶の家で支えられていました。また、坊集落内に居住する人々は、僧俗にかかわらず、僧侶としての勤めを義務づけられていました。
 
今でも、天念寺や岩戸寺、成仏寺(じょうぶつじ)で行われている修正鬼会(しゅじょうおにえ)などの祭が寺の行事であると同時に村の行事として行なわれている背景には、このような六郷満山の村々の伝統が生きているといわれます。
 
平安末期に隆盛を極めた国東六郷満山文化も16世紀大友氏の没落とともに衰退していきました。筑前・豊前の守護大名であった大友宗麟(1530年〜1587年)は、天正6年(1578年)に、キリシタンの洗礼を受け熱心なキリシタンになりました。キリスト教が一神教であったこともあって、宗麟は国東の多くの寺々を焼討ちしたと言われます。また、明治初頭の廃仏毀釈では、多くの寺院や仏像・石仏が壊されました。
 
それらの法難をまぬがれ、国東半島に現存する寺院や仏像・石仏は、ことさら観光客を意識することもなく、自然体で佇(たたず)み続けていて、いにしえの素朴な息吹を感じさせてくれます。
 
【参考にしたサイト】
[1]大分歴史事典・六郷満山 ( ろくごうまんざん)/神と仏と鬼の山
 → http://www.e-obs.com/heo/heodata/n771.htm
[2]両子寺ホームページ
 → http://www.coara.or.jp/~futagoji/
 

2005.08.17  
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