♪戻れぬ時間
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旧千燈寺跡−国東半島を訪ねて(7)
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国東(くにさき)半島の最北、国見町の霊峰千灯岳(標高606m)の中腹に「西の高野山」と呼ばれた寺院跡があります。旧千燈寺跡です。養老2年(718年)に国東六郷を開創した仁聞菩薩(にんもんぼさつ)の創建と伝えられる寺院で、かつて末寺・末坊38ヶ所を有していた大寺院であったといわれます。仁聞菩薩が、4人の同行と不動の法を行じていた時、東北海の龍王がその徳に感じ入って献燈すること一千に及んだことから千燈寺と名付けられました。仁聞菩薩の入寂の地(亡くなった地)といわれ、また奥の院の西には仁聞の墓ともいわれる1000基を越える五輪塔が残っています。このような大寺院もキリシタンの洗礼を受けた筑前・豊前の守護大名、大友宗麟(1530年〜1587年)によって焼討ちされ、今は寺院跡の半ば風化した石段や石垣、護摩堂跡に残る一対の仁王像などの史跡が、時の流れを伝えています。            (旅した日 2005年06月)
緑蔭に佇んで
一対の仁王像は、緑蔭に佇んでいました。仁王像の守るべき護摩堂は今はなく、石垣と石段が残っているだけです。やがて秋がきて木々の葉が赤々と色づく紅葉の頃、この仁王像レリーフの雰囲気はどんななのでしょうか、その頃の旧千燈寺跡もまた訪ねてみたいものです。


仁王像(県指定文化財)
多くの仁王像が国東半島の寺院に見られる中で、旧千燈寺跡に立つ仁王像(写真上右・下左)は最も優秀であるといわれ、県の文化財に指定されています。レリーフ調で半肉彫りの珍しい仁王像です。仁王像に向き合うように立つ小さな石仏(写真上左)と参道に残る石の鳥居(写真下右)、栄枯盛衰が偲ばれます。


石畳の道と石垣
石の鳥居をくぐって石畳の道を進むと、西の坊跡の石垣があります。ここに「千燈寺跡・西不動一帯全図」と書いた案内板があります。スケールの大きさが分かります。道をさらに登って行くと、五輪塔群、奥の院、そして周防灘を一望できる不動石屋などがあります。

千燈寺跡・西不動一帯
案内板には、周防灘沖に『キツネ踊り』で有名な姫島も書かれています
宇佐神宮熊野磨崖仏富貴寺両子寺青宇田画像姫島キツネ踊り旧千燈寺跡
文殊仙寺天念寺と川中不動岩戸寺田染荘長安寺  レポート ・国東六郷満山
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