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シェントンウェイと官庁街 − シンガポール(1)
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シンガポールの創設者トーマス・ラッフルズ卿が1819年にシンガポールをジョホール王国(現マレーシア)から譲り受けたとき、シンガポールはライオンの町と呼ばれる、漁民200人ほどが住む島でした。イギリス植民地時代、そして戦後の独立を経て、淡路島ほどの大きさの国土に420万余の国民が住む、食料も資源も皆無の国は、今や国民一人当りの国民総生産(GDP)が日本、香港についでアジア第3位という経済規模を誇るとともにアジア有数の観光大国になりました。1963年に、マレーシア連邦から「足手まといだ」と見捨てられるようにして分離独立せざるを得なかった危機存亡の中で、初代首相リー・クアンユー氏は、通商都市国家として生きていく道を選択します。資源なし食料なしの希望のもてない多民族国家がそれを実現するためには民主主義を標榜する余裕はありませんでした。明確な意識と目標と統制の下に実行された独自の国づくりは、リー氏が未来像として描いた、公園のように美しい近代国家(ガーデンシティ)を実現させました。3泊4日という短い旅でしたが、その間に見聞できたシンガポールの一端をレポートします。本ページは、『シェントンウェイと官庁街』の巻です。                             (旅した日 2005年09月)


シェントンウェイ
マーライオンとその背後にそびえるシェントンウェイの高層ビル群
シンガポールを象徴するマーライオンとシェントンウェイ(Shenton Way)の高僧ビル群。上半身がライオン、下半身体が漁業の街を意味する人魚(マーメイド)の像・マーライオンは、昔、シンガポールが「ライオンの町(シンガ・プーラ)」と呼ばれていた島だったことに由来します。シェントンウェイ(Shenton Way)は、UOBビル、OUBビル、シンガポールテレコムビル、日立タワーなど現代シンガポールの金融、IT産業を支える企業の高層ビルが群立するビジネス街です。
シェントンウェイと官庁街
シンガポール川をはさんで、シェントンウェイの反対側(写真で手前)は、グリーンのドーム屋根の最高裁判所、その手前隣りにシティホール(市庁舎)、向こう側に国会議事堂などが建ち並ぶ官庁街です。旧国会議事堂、ビクトリア・シアター、エンプレスプレイスなど、歴史的建造物も建ち並んでいて見応えのあるエリアです。手前右下に白亜の聖アンドリュース大聖堂の一部が見えます。ラッフルズ・シティ・ショッピング・センターにある73階建てのホテル『スイソテル・ザ・スタンフォード』の14階の部屋から眺めた朝焼けの景色です。〜

トーマス・ラッフルズ卿
 トーマス・ラッフルズ卿(Sir Thomas Stamford Raffles、1781〜1826年)
14歳の時からイギリス東インド会社で雇員として働き始め、1805年マレー半島のペナン島に赴任。スマトラ総督まで昇格し英国に帰国後、1817年ナイトの称号を授与されます。マレー半島南端の島シンガポールの地理的利点を即座に見抜いたラッフルズは、1819年(38才のとき)にジョホール王国からシンガポールを譲り受けます。シンガポールの創設者、シンガポールの父などと呼ばれています。写真は、ラッフルズ卿上陸記念地点に建つ像。


ビクトリア・シアター
ビクトリア・シアター(Victoria theatre)
二つの建物を中央の時計台がつなぐヴィクトリア朝様式の建物の向かって左側が上の写真のビクトリア・シアターで、右側にメモリアル・ホールがあります。列柱や半円アーチをあしらった端整な白亜のファサード(建物の正面のこと)が印象的な建物です。ビクトリア・シアターは、1862年に市庁舎として建てられたもので、現在は、シンガポール交響楽団の専用ホールとなっています。

二つの建物をつなぐ白亜の時計台
前庭に置いてあるブロンズ製のラッフルズ像が イギリスの彫刻家・ウールナー (Thomas Woolner 、1825-1892) 作のオリジナルで、完成したのは、ヴィクトリア女王在位50周年の1887年。上陸記念地点に建つ白いラッフルズ像は、このオリジナルを元に造ったレプリカです。


摩天楼の下の緑
外国人観光客誘致こそが富国への道であるとしたシンガポール政府は、国家の存亡をかけて町の美化・緑化に取り組んで来たといわれます。500万本ある街路樹の一本一本の樹歴がコンピュータ管理されているそうです。摩天楼の下の緑が歴史的建造物と相まって潤いを与えています。


エンプレスプレイス
アジア文明博物館U(ACMU)/エンプレス・プレイス 
1865年に建てられた白亜の美しい建物。ヴィクトリア女王が当時インド女帝も兼ねていたことにちなんでエンプレス(Empress、女帝)・プレイスと命名されたそうです。現在は中国、東南アジア、南アジア、西アジアの工芸品を中心に展示されているアジア文明博物館となっています。

旧国会議事堂
旧国会議事/ジ・アーツ・ハウス
最高裁判所の隣りにあるそう大きくない白亜の建物。元々は、1827年にコールマン(シンガポールの近代化に業績のあったアイルランド人建築家)が実業家 の邸宅として建てたものでしたが、国会議事堂など用途をいくつも変えてつつも、奇跡的にほぼ往時の姿をとどめている建物です。2004年にジ・アーツ・ハウスとして生まれ変わり、パフォーマンスホールや議場などの貸スペースとして利用されています。


最高裁判所
最高裁判所(Supreme Court)
グリーンのドーム型の屋根とコリント様式の円柱が特徴の建物。最高裁判所とは思われない雰囲気です。1937から1939年ごろに設計された、イギリス時代の最も優れた建築物の一つに数えられいます。


聖アンドリュース大聖堂
聖アンドリュース大聖堂(Saint Andrew's Cathedral)
18631年に完成されたゴシック様式の白亜の大聖堂。まばゆいばかりの白さで、天に向けて伸びる尖塔が青空に映えてとても美しいです。道路をはさんで、ラッフルズ・シティ・ショッピング・センターの向かい側にあります。


ボート・キー(Boat Quay)
キー(Quay)とは、埠頭(ふとう)、 岸壁の意味。ボート・キー、クラーク・キーともシンガポール川に沿って伝統的ショップハウスが連なる街並みが再現され、そこに屋台風の飲食店が立ち並ぶ人気ダイニング・スポットです。ボート・キーは、シェントンウェイの高層ビル群のすぐ隣り上流にあるドリンクと食事中心のスポットで、高層ビル群の夜景をすぐ目の前にしてダイニングが楽しめます。夕暮れ時なると観光客、家族連れ、カップル、接待客などで賑わってきます。

クラーク・キー(Clarke Quay)
クラーク・キーはボート・キーからさらに500〜600m上流にあります。飲食店に加えて物販店やアトラクションもあるスポットで、バムボート(Bumboat)と呼ばれる昔の荷物運搬船を模した小船に乗ってシンガポール川を遊覧するリバー・クルーズの発着場があります。

ボート・キーより望む官庁街
ボート・キー付近のリバー・クルーズ船から見る官庁街の風景です。中央背後の高い建物が、ラッフルズ・シティ・ショッピング・センターにある73階建てのホテル『スイソテル・ザ・スタンフォード』です。



シェントンウェイと官庁街

ラッフルズ・ホテル

シンガポールの夜景

オーチャード・ロード

居住区の雰囲気

植物園とセントーサ島


レポート ・シンガポールについて


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