♪天上の貴公子
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旅行記  ラッフルズ・ホテル − シンガポール  2005.09 
   
   
   
シンガポールの創設者、トーマス・ラッフルズ卿
(Sir Thomas Stamford Raffles、1781〜1826年)の名前を冠する
ラッフルズ・ホテル(Raffles Hotel)は、
シンガポールきっての高級ホテルとして、これまで数多くの著名な文豪、国家元首、
政治家、俳優などの御用達となってきたホテルです。

   
  
もともと1826年に建てられた女子寮だったものを、
1887年にアルメニアの商人サーキース兄弟がホテルとしてオープンさせました。
   

  
当時は部屋数わずか10室のホテルでしたが、
在住のヨーロッパ人の社交場として、
またこの界隈を旅行するヨーロッパ人たちの滞在先として賑わうようになります。
   
   

   
ホテルは、その後増築を繰り返し、1920年に現在の形になりました。
1920年代は、ゴム景気に沸いた、
イギリス植民地の最も良い時代で、羽振りのいい人たちが毎晩出入りして、

世界中から多くの著名人が訪れました。
   


そのなかに、
イギリスの文豪サマーセット・モーム
(1874〜1965年)や
世界の喜劇王チャーリー・チャップリン(1889〜1977年)
がいました。

    
サマーセット・モームは
このホテルを『東洋の貴婦人』と
形容して愛し、
滞在中に多くの名作を書き上げたといわれます。

    
当時二人が宿泊した部屋は現在でも
モーム・ルーム、
チャップリン・ルーム
として
当時の調度品そのままに使用されています。

   
しかし、ラッフルズ・ホテルにも、苦難の時期がやってきます。
シンガポールは1942年から
終戦までの3年半、日本軍によって占領されますが、

   
   

  
日本軍によって、ホテル名は「昭南旅館」と
改名させられ、
従業員には着物の着用が義務付けられたそうです。
   
   
そして、日本軍は、
古いホテルの記録をすべて破棄してしまったのです。
その中には、サマーセット・モームの
サインなど貴重なものが数多く含まれていたといわれます。
   

   
戦後も植民地政策の
シンボルとして槍玉に上がるなど、辛い時代が続きました。

それでも、
このホテルは多くの人に親しみ続けられ、1989年には
大改装工事が始められ、
1991年の秋、全104室がスイートというデラックスホテルとして
再オープンしました。
   
   
   
ルームチャージはツインで
S$700(約5万円)以上となっていますが、ありがたいことに、
このホテルは中に入って自由に見学できるのです。
   
また、1階と2階には、中庭に面してブランドショップがずらりと並んでいて
ショッピングが楽しめます。

   

  
そして、忘れてならないのが
シンガポール・スリング(Singapore Sling)ですね。
   
ジンベースのこのカクテルは、
1915年に、ラッフルズ・ホテルのニャン・トン・ブーン(Ngiam Tong Boon)という
中国系のバーテンダーがシンガポールの夕焼けを
イメージして考案したと言われます。
遠い南国への憧れからか、またたく間に人気のカクテルになり、
世界的に有名なカクテルになりました。
ホテルのバーで頂けます。
  
  
  
ラッフルズ・ホテルの近隣は、アジアの有名なモダニズム建築家イオ・ミン・ペイ ( Ieoh Ming Pei )による
デザインでラッフルズ・シティ・ショッピング・センターとして再構築され、ショッピング・リゾートエリアとして
家族連れやカップル、 海外からの観光客などで賑わっています。  世界20数国に、スイソテル・ホテルを
チェーン展開しているこのホテルグループは、2003年に大阪・難波にある南海サウスタワーホテル大阪を
買収して、スイソテル南海大阪に改名しチェーン化しています。

  
  
  
シェントンウェイと官庁街
  
ラッフルズ・ホテル
  
シンガポールの夜景
  
オーチャード・ロード
  
居住区の雰囲気
  
植物園とセントーサ島

  
レポート ・シンガポールについて
  
  
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