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♪想い川 |
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小松帯刀ゆかりの地〜篤姫の周辺− 鹿児島県 |
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2008年NHK大河ドラマ『篤姫』で、瑛太さん演じる篤姫の幼なじみの肝属尚五郎は、27歳の若さで薩摩藩家老となり、下級武士に過ぎなかった西郷や大久保らを近代日本史に残る英傑へとその才能を引き出し支援した、のちの小松帯刀(たてわき)です。喜入領主・肝属兼善の三男として鹿児島に生まれ、主島津斉彬の小姓となり、22歳のとき吉利領主・小松清猷の養子として家督を継ぎ小松帯刀と改名します。一藩の財政・商工業・軍事・教育などをその若い双肩に担い、島津久光の懐刀として活躍。交流のあった坂本龍馬らとともに日本の明治維新を支える重要な人物になってゆきますが、明治3年(1870年)に36歳の若さで病死。幻の宰相・小松帯刀ゆかりの地を訪ねました。 (旅した日 2008年01月、05月) |
小松帯刀(こまつたてわき) |
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小松家お仮屋跡(日置市・吉利) |
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園林寺(おんりんじ)跡と鬼丸神社 |
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清浄寺(しょうじょうじ)と小松帯刀像 |
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喜入(きいれ)麓 |
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小松帯刀屋敷跡(鹿児島市) |
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補遺(1)− 帯刀とおちか 〜日本初の新婚旅行? |
2008年5月5日の地元紙(南日本新聞)の朝刊に、薩長同盟奔走時に長崎から妻・おちか(お千賀)に送付したとみられる帯刀の手紙が日置市の民家に保管されているという記事が載りました。長崎に十日に到着し、足の痛みは心配ないこと。お近の体を気遣い、薬と思われる『清心丸』を送ったことなどが記され、妻への思いやりにあふれた手紙だそうです。 |
補遺(2)− お琴の墓(園林寺) | ||
帯刀が長く国許を離れていた間、帯刀の身の回りの世話をしていたのが、京都祇園の名奴とうたわれたお琴(琴仙子、ことこ)という女性でした。帯刀のいわゆる愛妾で、のちに帯刀の第二夫人になります。帯刀が病床に伏すと献身的に看病したお琴は、帯刀の死を痛み、『わたしが死んだら帯刀公の傍らに埋めてほしい』という遺言を残したそうです。現在、お琴の遺骸は、園林寺跡小松家墓地の一隅に葬られています(写真左)。第二夫人(愛妾)だった人が同じ墓地内に葬られるというのは異例のことと言えるでしょうが、お琴の墓が園林寺に移されたのは、生前のおちかの計らいだったそうです。おちかとの間に子がなかったため、お琴との子・清直(きおなお)が小松家を継ぐことになります。続きは | ||
【編集後記】 |
2008年NHK大河ドラマ『篤姫』も好評のうちに、12月14日の最終回を終えました。第49回(12月7日放送)では、篤姫と小松帯刀(養子にいく前の肝属尚五郎)の再会のシーンがありましたが、元々宮尾登美子さんの原作に小松帯刀は登場していません。脚本の田渕久美子さんは、薩摩藩の若き家老であり、西郷や大久保にも匹敵する働きを残しながら、これまで歴史の中でとりあげられることの少なったヒーロー、小松帯刀にもスポットを当ててみたいという思いがあって、ドラマに登場させたそうです。しかも、篤姫に恋心を抱く幼馴染という設定によって、ドラマに一層の面白さが加わりました。 田渕久美子さんは、脚本を書くにあたり現地取材で、篤姫の実家である指宿の今和泉家別邸跡にも行かれ、砂蒸し温泉にも入られたそうですが、NHKが来たということで地元では、海運業・造船業・貿易で力を発揮し、『安政年度長者鑑』の筆頭者となった薩摩の豪商『浜崎太平次』が取り上げられるという思い込みが先行していて驚かされたそうです。つまり、今でこそ全国的に知られるようになった篤姫と小松帯刀ですが、大河ドラマ放送以前は地元鹿児島でも知る人ぞ知る存在だったということです。 日置市吉利に小松家のお仮屋跡や小松帯刀の墓、鹿児島市喜入に藩政時代の面影を今に残す肝属領武家集落の町並みなどを訪ね、このページをアップロードしたのは、大河ドラマが始まった今年(平成20年)1月のことでしたが、どこもかしこも初めての訪問で、初めて見聞きすることばかりで、いかに地元県内の歴史にうとかったかを実感する羽目になったのでした。 大河ドラマの展開が進むにつれて、たくさんの人にみて頂くようになり、あちこちのWebサイトやブログでもリンクも張って頂いたことはうれしいことでした。(2008.12.15記) |
⇒ レポート ・ 小松帯刀(こまつたてわき) | |
⇒ レポート ・ 芸妓・お琴のこと 〜 篤姫の周辺 | |
⇒ Information ・ 小松帯刀、おちか、お琴さんの墓 | |
⇒ かごしま篤姫マップ |
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