♪アルバム・リーヴス(メリカント)
Classic MIDI album
万世飛行場跡 − 鹿児島県南さつま市
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特攻基地と言えば、知覧飛行場が広く知られていますが、知覧から西へ約15kmの吹上浜に面する位置に万世(ばんせい)飛行場という特攻基地があったことを知る人は少ないかも知れません。終戦直前の昭和20年(1945年)3月から7月までの約4ヶ月間に、201 人の特攻隊員が万世飛行場から沖縄に向けて出撃し、帰らぬ人となりました(知覧からの出撃者は436名)。南方戦線の激化にともなって、知覧飛行場だけでは運用に支障をきたすようになり、急遽、南さつま市(旧加世田市)万世に補助飛行場が造られたのです。急造のため、滑走路は短く、土を固めただけのものでした。飛行場の使用期間が約4ヶ月間と短かったこと、また、さまざまな面で知覧飛行場と混同されたことがあって、万世飛行場は世間の人々から見過ごされ、「幻の特攻基地」などと言われていましたが、昭和47年(1972年)に、飛行場跡地の一角に万世特攻慰霊碑「よろずよに」が建立され、さらに平成5年(1993年)には、「万世特攻平和祈念館」が開館しました。終戦記念日が真近い真夏の日に、万世飛行場跡地を訪ねました。             (旅した日 2005年07月)
万世特攻平和祈念館
外観は、パイロットたちが生まれて初めて飛んだ憧れの練習機「赤とんぼ」の複葉型を模し、大屋根は平和を祈る合掌をシンボル化したユニークな「複葉合掌型」の形をしています。平成5年(1993年)に開館。館内には、吹上浜から引き上げられた日本に一機だけの「零式水上偵察機」や死を間近にした特攻隊員たちが肉親たちに残したメッセージや「血書」、遺品・遺影などが多数展示されている。また、「遺(のこす)」というコーナでは、映像を使って当時の関係者の証言や資料映像を紹介しています。鹿児島県南さつま市加世田高橋1955番地3.・電話(0993)52-3979、12月31日・1月1日を除く毎日、9時〜17時開館。
   
   
万世特攻慰霊碑 「よろずよに」
昭和19年(1944年)、太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
   
昭和20年(1945年)3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武体の諸隊、飛行第66戦隊、飛行第55戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。一機また一機と。征きて帰らざる者あまた。或いは空中に散華。或いは自爆。壮絶にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭(こく)するであろう。
  
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄(こんぱく)を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。
        昭和47年(1972年)5月29日(碑文より)
  
※哭(こく)する=大声をあげて泣き叫ぶ。


零式水上偵察機

平成4年(1992年)に吹上浜より引き揚げられた日本でただ一機の旧海軍『零式水上偵察機』

 
上の写真の零式水上偵察機は、2011年12月、日本航空協会の『重要航空遺産』に認定されました。この認定制度は、日本航空協会が歴史的、文化的に価値の高い航空遺産を後世に残すために2007年に設けたもので、この零式水上偵察機は6件目の認定になります(2011年12月24日記)。
  
  
小犬を抱く少年兵
子犬を抱きながら微笑んでいる飛行服の少年たち。この写真は、昭和20年(1945年)5月26日に写されたものと言われます。翌日早朝、5人の若者は、特攻隊として沖縄の空に出撃し散華しました。
  
写真中央で子犬を抱く少年の名は、荒木幸雄。当時17歳2ヶ月。群馬県桐生市宮前出身。写真はひとり歩きし、知覧飛行場から出撃したかのようにも・・・? でも、撮影場所は「万世飛行場」でした。荒木少年が、宿舎から父親に宛てた最後のはがきがありました。
  
出撃当日の消印が押され、宿舎の住所が川辺郡加世田町飛龍荘内と書かれていたのです。この一枚のはがきが、「万世飛行場」から出撃したあかしとなりました。
  
明日の死を覚悟しているとは思えない少年たちの笑顔です・・・。
more ⇒ レポート 『子犬を抱く少年兵 』
  
  
  旧万世陸軍飛行基地・営門
飛行場跡は、吹上浜海浜公園や住宅、農耕地などになっていて、この営門だけがありし日の面影を偲ばせています。当時の軍の機密は厳重を極め、この営門には武装した衛兵が24時間立哨(りっしょう)の任務についていました。飛行場への出入りはすべてこの門からであり、万世基地から沖縄戦に出撃、突入した若き特攻隊員も、ここを通ったのです。
  
  
今、営門は舗装された道路となり、車が行き来します。歩道には石灯籠が置かれています。ふと仰ぐと、真夏の空にジェット機が飛行機雲を引いています。
  
  
滑走路跡
旧万世陸軍飛行基地の東シナ海に面した部分は今、「県立吹上浜海浜公園」となっています。上の写真は公園内の遊歩道で、この歩道がかつての滑走路でした。前方に海が見えます。若き特攻隊員は、このような視界で飛び立ったのでしょう。
  
  
公園内には、大小のプールが整備されていて、夏になると家族連れで賑わいます。
  
  
一方、山側を振り向くと、かつて基地施設があった方面は公園の正面入口で、今は憩いの場となっています。毎年5月の連休になると、この「県立吹上浜海浜公園」の一角で「砂の祭典 in 加世田」が開かれます。
  
                                                                 (文中敬称略)
【備考】
『子犬を抱く少年兵』の写真と、『零式水上偵察機』の写真は、ご好意を得て『万世特攻平和祈念館』で撮影させて頂いたものです。
【編集後記】
今年(2005年)は、戦後60年の節目の年にあたり、テレビ各局では、いろいろな終戦記念ドラマが企画されているようです。南洋の空に散った隊員たちの冥福と恒久平和を念じらずにはいられません。南さつま市で『加世田ホテルよしや』を夫婦で経営されている田中さんから、本ページをホテルのホームページでリンクして紹介したいとの申し出を頂きました。田中さん、ありがとうございました。ホテルよしやさんのホームページで加世田周辺の御紹介がされています。
  知覧〜特攻の町    ⇒ 海軍航空隊出水基地   雑感・平和学習
  
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