レポート | ・子犬を抱く少年兵 − 万世飛行場 |
− 子犬を抱く少年兵 − 万世飛行場 −
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今年もまた8月15日がやってきます。今年は、戦後60年の節目の年にあたり、テレビ各局で、いろいろな終戦記念ドラマが企画されているようです。 特攻基地と言えば、鹿児島県の知覧飛行場が広く知られていますが、知覧から西へ約15kmの吹上浜(ふきあげはま)に面する位置に万世(ばんせい)飛行場という特攻基地があったことを知る人は少ないかも知れません。 終戦直前の昭和20年(1945年)3月から7月までの約4ヶ月間に、201 人の特攻隊員が万世飛行場から沖縄に向けて出撃し、帰らぬ人となりました(知覧の特攻戦没慰霊者は1036人、ただし知覧からの出撃者は436名)。 飛行服姿の5人の若者が笑って写っている一枚の写真があります。中央の若者が子犬を抱いています。昭和20年(1945年)5月26日に写されたと言われる写真で、5人の若者は翌日早朝、特攻隊員として沖縄の空に出撃し散華しました。写っているのは、明日の死を覚悟しているとは思えない少年たちの笑顔です・・・。 ・写真を見る→ http://washimo-web.jp/Information/Bansei_Iei.htm 写真中央で子犬を抱く少年の名は、荒木幸雄。当時17歳と2ヶ月。群馬県桐生市宮前出身。写真はひとり歩きし、知覧飛行場から出撃したかのようにも・・・? でも、撮影場所は「万世飛行場」でした。荒木少年が、宿舎から父親に宛てた最後のはがきがあります。 陸軍伍長 荒木幸雄 最后(さいご)の便り致します 其後(そのご)御元気の事と思ひ(い)ます 幸雄も栄(はえ)ある任務をおび 本日(廿七日)出発致します。 必ず大戦果を挙(あ)げます 桜咲く九段(くだん)で会う日を待って居(お)ります どうぞ御身体を大切に 弟達及(および)隣組の皆様にも宜敷く さようなら 出撃当日の消印が押され、宿舎の住所が川辺郡加世田町飛龍荘内と書かれていました。この一枚のはがきが、「万世飛行場」から出撃したあかしとなりました。 南方戦線の激化にともなって、知覧飛行場だけでは運用に支障をきたすようになり、急遽、加世田市万世に補助飛行場が造られたのです。急造のため滑走路は短く、土を固めただけのものでした。 飛行場の使用期間が約4ヶ月間と短かったこと、また、さまざまな面で知覧飛行場と混同されたことがあって、万世飛行場は世間の人々から見過ごされ、「幻の特攻基地」などと言われていましたが、昭和47年(1972年)に、飛行場跡地の一角に、万世特攻慰霊碑「よろずよに」が建立され、さらに平成5年(1993年)には、「加世田市平和祈念館」が開館しました。 万世飛行場は現在、営門だけが当時の面影を残すのみで、跡地は県立吹上浜海浜公園や住宅、農耕地などになっています。海浜公園には大小のプールが整備され、夏になると家族連れで賑わいます。また、海浜公園の一角では、毎年5月の連休になると、「砂の祭典 in 加世田」が開かれます。 今は憩いの場となった公園に遊ぶ人の中に、ここがかつて特攻基地だったことを気に留める人が何人いるでしょうか。今の時季になると、60年前も万世の空には積乱雲が立ち込め、暑い夏を演出していたことでしょう。南洋の空に散った隊員たちの冥福と恒久平和を願わずにはいられません。 (文中敬称略) 『旅行記 ・万世飛行場跡 − 鹿児島県南さつま市』もアップロードしてあります。併わせてご覧下さい。 → http://washimo-web.jp/Trip/Bansei/bansei.htm 【備考】 ・『子犬を抱く少年兵』の写真は、ご好意を得て「万世特攻平和祈念館」で撮影させて 頂いたものです。また、最後のはがきにつきましては、館内に掲示されていた内容を転載させてもらいました。 ・知覧については、下記のページが参考になります。 『旅行記 ・知覧(2)− 特攻の町』 → http://washimo-web.jp/Trip/Chiran/chiran.htm |
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2005.08.03 | ||||
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