雑感  ・コラム/メール文集(2) 2003.03〜2003.05   
 ワシモ(WaShimo)が、メーリング・リストなどで発信したメール文やメールマガジンの編集後記の文をコラム風にまとめたものです。下のメニューバーで切り替えてご覧下さい。

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◇◆◇ お雛様の「御殿」について
 「それにしても、お雛様と言うと徳島地方のお雛様は、御殿の中に入っているのが普通ですが、日田のお雛様は、御殿はないのですね!」というお便りを頂きました。云われてみますと、九州のお雛様には「御殿」はないですね。九州一円の10箇所のひな祭りのパンフレットがありますが、どのひな壇も最上段にあるのは、金の屏風だけです。金の屏風の前に二人並んで座っています。


◇◆◇ 「ひなまつり」の歌
 お陰さまで、あちこちにお出かけできています。あちこちを訪ねて、先人達の文化や英知や努力などに触れることができ、日本の素晴らしさを実感するものです。
 
 私には、女兄弟がいなかったし、女の子供もいないので、ひな祭りにはあまり縁がありませんでした。それでも「ひなまつり」が好きです。小学校のとき、中身を抜いた卵の殻2個を学校に持って行って、雛人形を作ったことを思えています。そして、「ひなまつり」の歌がすきです。

「金の屏風に映る火を〜かすかにゆーする春の風〜」 春の到来をよろこぶ気持ちが繊細な表現で描写されていて、日本的な色、音、動きがよく描写されていると思います。

「着物を着替えて、帯締めて〜、きょうは私も晴れ姿た〜」そして、この歌は庶民の歌です。


◇◆◇ 天領日田のおひなまつり」を見に行きました。
 「天領日田のおひなまつり」を見に行きました。とてもよかったです。早速HPにアップしました。廣瀬淡窓にも大変興味を持ちました。写真等を整理してUpしたいと思います。また、日田彦山線の車窓から見た筑前岩屋の「棚田」がとてもよかったです。田植えが済んだ頃、撮影の訪れるのを楽しみにしています。由布院や天ヶ瀬など、大分には行ってみたいところが沢山あります。


◇◆◇ 薩摩の土人形展
 今、磯庭園の尚古集成館でも島津家のひなまつりを開催中です。それは、写真取れませんでしたが、磯庭園内の竹徑亭で、薩摩の土人形展が開催されています。薩摩の土人形は第17代島津義弘が朝鮮出兵の際に、朝鮮から連れ帰った陶工たちが故郷を偲んで作ったのが始まりと言われています。素朴でかわいい土人形の写真を、HPしようと思っています。4月6日(日)は、磯庭園で「曲水の宴」が開かれます。

 今年は、日田(大分)と人吉(熊本)、そして仙巌園(鹿児島)でひな人形を見ることができました。豪華絢爛な享保びな・有職びな・古今びな。これらは由緒ある高価そうなひな人形でしたが、庶民は庶民で、素朴で可愛い人形をしつらえて娘の健やかな成長を祝った様子を伺い知ることもできたました。


◇◆◇ 咸宜園の教育
「日田市」は、山に囲まれた田舎のそう大ききない市ですが、江戸時代天領だったことから、独自の文化が栄えたようです。実は、私もこれまで、廣瀬淡窓を知らなかったのです。日田市には、ひな祭りを見るのを目的に出かけたのですが、「廣瀬淡窓」と「咸宜園」、思いがけず貴重な出会いができました。


◇◆◇ 坊がつる賛歌
「坊がつる」は1000m級の山が並ぶ九州のアルプス「くじゅう連山」(大分県の熊本県境)にある、東西・南北2〜3キロの美しい湿原です。芹洋子が歌う『坊がつる賛歌』。この歌は、九州大学の学生達が、広島高等師範の山岳部部歌を元歌に坊がつるの山小屋で作った替え歌が、歌い継がれていたものだそうです。
 スナックで歌うような歌ではありませんが、行きつけのお店で、お客さんが少ないとき歌ったりしたものです。


◇◆◇ 巌流島の宮本武蔵像
巌流島にはすでに、秘剣燕返しの佐々木小次郎記念像が建ててありますが、この4月、下関市は宮本武蔵像を建立し、14日にその除幕式がありました。佐々木小次郎像とともに迫力ある「巌流島の決闘」シーンが現代によみがえったわけです。除幕式には、NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」で武蔵役を演じる市川新之助さん(25)が駆けつけましたが、予定より30分遅れての到着だったようです。参列者の皆さんは、武蔵が決闘の時刻に遅れたことにちなんだ演出だろうと思ったのですが、新之助さんの単なる遅刻だったようです。建立された武蔵像を、是非見に行こうと思っています。


◇◆◇ 船名の「丸」について
 「我が国の船の殆どには名前の 後に 「丸」 が付いていますが、 これは何故なのでしょうか?」という疑問について、ネット検索してみました。
 平安時代からの「麻呂」→「丸」に由来があるようですね。大切な持ち物に「丸」を付けたようです。例えば、天領日田の老舗の薬屋の万能薬の名前が「日本丸」でした。「牛若丸」もそうでしょうか。


◇◆◇ 「ゴッホ」と「北斎」
 ゴッホの「アイリスの絵」は葛飾北斎の「版画あやめ」の影響を受けているようです。サイトで「北斎 あやめ」で検索してみましたが、具体的にその版画絵なのかは承知しておりません。長野県・小布施に北斎の美術館があって、いつか訪問される機会がお有りなんですね。あやめの版画絵があったら教えて下さい。モネにしても、日本風のガーデンにわざわざ日本から植物を取り寄せて、絵を描いたようですね。日本の文化や風情・情景、捨てたものではないですね。


◇◆◇ 端午の節句
 端午の節句には、菖蒲湯や菖蒲飾り、旗のぼりやこいのぼり、「柏もち」や「ちまき」など、いろいろな催しごとがあります。私の生まれ故郷の地方でも、菖蒲を家の軒先にふいたり、菖蒲湯の風習が、つい最近まで残っていました。調べてみるとその由来は奈良時代の頃までさかのぼるようです。昨日、花屋さんの店先に菖蒲とよもぎを置いてあったので買って来ました。今夜は、単身赴任の狭いワンルームマンションのバスルームで菖蒲湯としゃれ(?)込んでみようと思っています。鹿児島では、ちまきの代わりに「あくまき」を食べます。


◇◆◇ 「あくまき」
 「お隣のお婆ちゃまは、都城にお住まいで92歳です。お手製だと聞きましたので、90歳を過ぎて、こんなに手を掛けて作って下さったものだったとは・・・あの独特の香りが、すぐに思い出されました。」というお便り、ありがとうございます。
 都城(みやこのじょう)など宮崎の南部地方は、島津時代薩摩藩だったため鹿児島県と同じ南九州の文化圏ですので、「あくまき」が作られています。「あくまき」作りは、70歳代〜90歳の年配のばあちゃんたちの時代が一番盛んだったようです。今は、お店で買って食べるのが一般的になりつつあります。
 
 確かに、「あくまき」を作るには、先ず、木や竹を燃やして灰をつくることから大変ですね。それに、孟宗竹の竹皮を探すのが大変ですね。

 また、「なんだか、食べたくないような、食べたいような、不思議な感じです。」、そして「実はお客様に、毎年頂いていましたが、今ひとつ食べ方がわからず他のお客様に、貰って頂いていました。多い時は5本ぐらいになっていました、お客様もお店(スナック)に勤めていて、味が有るような?無いような?不思議な感覚ですので、少し頂いて残りは、冷凍庫の中でした。」というお便りを頂きました。
 確かに、味も「あるような、ないような」味です。自ら好んでは食べない人もいるようです。贈られる人は、いいと思って贈られるのでしょう。お便り頂いたご体験、「あくまき」にまつわるよくある話しだと思います。


◇◆◇ 菖蒲の束で女性のお尻叩き
 石川県内では子供たちが菖蒲の束で既婚女性のお尻を叩く行事もあったそうですね。菖蒲の持つ力を借りて子宝に恵まれるように祈願したものだと言われているとのこと、菖蒲の束で既婚女性のお尻を叩くこと、大人はできないでしょうか。叩いて見たいです(子宝に恵まれるように祈願する純粋な気持ちでですよ!?!?・・・)。金沢は、昔からの習慣や伝統が大切に継承されているのでしょうか。


◇◆◇ 鹿児島市のこと
 鹿児島市内で少年の陰湿な事件があって残念だと言うお便りを頂きました。鹿児島市内は、いつも良く清掃されていて街路樹の植え込みも良く剪定(せんてい)されています。、電車通りには時節時節の花々が置かれています。高麗橋から鹿児島大学通りの楠木もうっそうと茂って、鹿児島市は全国的にも綺麗な街だと自負しています。住んでいる人も、若者達もまだまだ純粋と思っていたのですが。陰湿な事件は寂しいですね。

 これから、心の豊かさが大切な時代なのに。政治、経済、文化、教育の面で、速いだけだが取り柄でなくスローテンポで良い。地に足の付いた世の中になって欲しいですね。そういう意味で、鹿児島の持っている自然・文化・歴史・地域性などを大切にして行きたいですね。そんな気持ちで、鹿児島のことをホームページに記載しています。花火の事故、とても残念でしたね。


◇◆◇ 菖蒲湯
 鹿児島市内には温泉の銭湯が沢山あって、学生のとき、銭湯時代がありました。南こうせつの「神田川」っていう風ではなかったですが。
 我がワンルームマンションの狭いお風呂に、菖蒲をはさみで、チョキンチョキンと気って、湯に浮かべて、菖蒲湯にしました。菖蒲特有の香りがしましたが、効用があるのかどうか分かりません。菖蒲を入れると入浴剤が無くって済むような感じはしました。


◇◆◇ 「昭和」に出会う町
 
「昭和」に別れを告げて今年でもう15年目です。心の中にはまだ残り火がかすかに残っています。懐かしい昭和30年代の、町やモノや人を再現しようとしているところがあります。大分県豊後高田市です。小倉から特急「ソニック」に乗って約1時間。宇佐駅で下りて、さらにバスに乗って約20分で豊後高田に着きます。「昭和の商店街」を歩き、昭和の街角や暮らしに出逢ってきました。



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  2003.08.20 
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