レポート  ・年頭雑感(中高年、生涯現役の生き方他)   
− 年頭雑感(中高年、生涯現役の生き方他) −
(1)団塊の世代の一人として
 小生(本HPの制作者)は団塊の世代の一人で、高度成長時代をメーカーの技術者として会社勤めの経験があります。朝7時に家を出て、帰宅するのはいつも夜の10時頃だったものです。土・日曜日もなく、起きている間、頭の中は四六時中仕事のことがグルグル廻っています。寝ていても、夢の中で図面を描いていることしばしばでした。そんなにして、技術競争に対処してきたものです。その制作者は今は、これからの「ものづくり」(製造業)を担う若い後進の育成の仕事に携わっています。自分の若いころの価値観や「こころざし」をより所に、若い人にきつく当りがちになります。


(2)多様化の時代
 中小企業を経営する方々の懇親会の席でのFさんの話しです。Fさんは、30代半ばの男性で親父サンと機械加工の会社を経営しています。その頃ちょうどパソコン教室に通っていて、WordやExcelに四苦八苦していました。Fさんは、久し振りに同窓会に出席しました。未だに定職にも着かずゲームセンターに入り浸りの生活をしている同窓生が出席していたそうです。Fさんは、早速意見しました。「嫁さんも貰わず、いい年をしてゲームセンターに入り浸りかよ」と。「ところで、何して食っているのか」とのFさんの質問に、その人は次のように答えたそうです。「UFOキャッチャー(ゲームセンターにある「ぬいぐるみ」を手に入れるゲーム機)で希少価値のあるキャラクタ(ぬいぐるみ)を手に入れて、それをインターネットでオークション販売して月に何十万円も稼いでいる」と。Fさんは、後悔したそうです。意見などするんじゃなかったと。量から質へ、成長期から安定期へ。人の好みもニーズも価値観も多様な時代になりました。そして、IT(情報技術)特にインターネットの普及は、ビジネスのみならず生活の様式にすら変革をもたらそうとしています。Fさんの話しは、多様化した、IT時代のエピソードの一つです。


(3)製造業は今
 資源に乏しい我が国はこれまで、原料を海外から輸入し、それを加工して製品に仕立てて輸出する、いわゆる「加工貿易」でやってきました。GDP(国内総生産)の3割弱を占める製造業が出荷する工業製品は、輸出の99%以上を占めてきました。その輸出によってライフラインである食糧、エネルギー、資源を賄ったうえ、貿易黒字を確保してきたのです。ところが、製造拠点は海外に移転し、特に中国の躍進は、例えば『チャイナインパクト』(大前研一著、講談社) に述べられているように凄(すさ)まじいばかりです。グローバル化や急速な製造生産拠点の海外移転に伴う空洞化などによって我が国の経済構造は転換期を迎えています。2001年度の我が国の国際収支は、経常収支の黒字額が3年連続で減少し、一方海外投資の収益などを示す所得収支の黒字額は過去最大となり、 貿易黒字と肩を並べたと言われています。現在日本を支えているのは、「加工貿易」ではなくて「膨大な貯蓄」とするのが一般的なようです。果たして、これまでに稼いだ金でずっと生きていけるのでしょうか。


(4)超民族性こそ身上−日本的カッコよさ(W杯評論から)
 2002年は、経済は「失われた10年」を引きずったまま低迷、金融は不良債権の処理が進まず、失業率は過去最高、そして政治不信と閉塞感がつのるばかりの一年でした。そのような中で開催されたサッカー・ワールドカップ。2002年7月29日の読売新聞「地球を読む」に掲載された劇作家・山崎正和氏(東亜大学学長)のW杯に関する評論に感銘したのは、小生だけではないでしょう。ワールドカップで見せた日本人の応援風景は、世界のプレスに驚きを与え、その行為は品行方正である、外国チームにも好意的だ、など絶賛されました。以下に、評論の一部分を引用させて頂きます。


■民族主義の克服という点で、ひょっとすると日本は歴史上初めて、世界の頂点に近づきつつあるのかもしれない。そう思わせる現象の一つは、2002年のサッカー・ワールドカップで見せた日本人の態度であった。競技場は一見、日の丸と「必勝」の文字を記した鉢巻きを締め、「日本」と叫ぶ数万の応援団に埋まっていた。それを遠くから見た人は、むしろ日本民族主義の高揚を感じとったかもしれない。だがよく見れば、大半を占める若い観客は髪を茶色やオレンジ色に染め、鉢巻きの下にはピアスの亘飾りを光らせていたはずである。彼らはスペイン語で「オーレ"Ole"」と声を揃え、応援歌としてヴェルディの歌劇「アイーダ"Aida"」の行進曲を歌っていた。


■外国からの報道陣を驚かせたのは、街に各国チームのジャージーが売られていて日本の観客がそれを着て贔屓の外国チームを応援したことであった。とくに意外とされたのは、新潟で行われたイングランド対デンマーク戦で、数千の日本人観客が赤と白のジャージーを着て応援したことだという。そのときイングランドは準決勝で日本の敵になる可能性を残していたからである。欧州では想像できない観客のこの「無邪気さ」は、ユーゴスラビアの新聞記者を呆れさせ、イングランド・サボーター協会(England supporters association)の会長を感動させた、と報道されていた。


■こういうスポーツがいま日本人の心を魅了し、国民をあげて民族主義のパロディーを演じさせた、という事実の意味は大きい。たとえばこの初夏、雑誌「フォーリン・ポリシー(The May/June issue of the U.S. bimonthly magazine Foreign Policy)」に載った挑戦的な論文は、この非民族主義的な日本の傾向に将来の希望を見ているからである。日本の国民総クール(カッコよさ))<Japan's Gross National Cool>という表題も奇抜だが、ダグラス・マッグレイ氏のこの論文は、内容も従来の日本論の固定観念を破っている。


(5)ひそかな攻勢−日本の文化的影響カ
 山崎正和氏は、同評論でさらに、昨今の日本の経済的衰退と政治的混迷を認めたうえで、しかしそれがこの国の現状のすべてではないと強調しています。以下に、再び評論の一部分を引用させて頂きます。


■ひそかに攻勢を示しているのは文化であって、ポップ音楽から消費者用電子機器、建築からファッション、アニメに及ぶ、「日本的カッコよさ」の息吹である。かつて政治的に無カだった冷戦期に、「日本的経営」が経済の勝利をもたらしたように、いま経済の低迷のもとで文化が気を吐いている。それがあまり気づかれていないのも、ちょうど経済大国化の初期段階で、人びとがその意味に気づかなかったのと同じである。


■漫画は日本の若者文化の象徴だが、「ポケモン(Pokemon)」は世界三十の言語に翻訳され、六十五か国で放送されている。「キティちゃん人形(Hello Kitty character)」は世界で年間10億ドルを売り上げ、一万五千に近い商品の意匠に使われている。漫画の量販店「まんだらけ」は海外に進出し、アメリカとイタリアに支店を開いた。「J−ポップ」と東京ファッション、日本の生活スタイルを伝える婦人雑誌はアジアを席捲した。「ニューヨーク・タイムズ」がパリやミラノと並べて、東京を国際ファッションの中心として認めた、とマッグレイ氏は声を大にする。


■芸術文化の分野でも、北野武(Takeshi Kitano)氏や宮崎駿(Hayao Miyazaki)氏が欧州の映画賞を受賞した。ハリウッドの映画や米国のテレビ・ドラマには、日本のアニメの影響を受けたものが多い。昨年ロサンゼルスのゲティー・センターは大展覧会を開き、「超平面(スーパーフラット)」という新しい美術運動を紹介したが、これも日本の若い作家が漫画に触発されて始めたものだという。 総じて日本の文化的影響カは、いま経済大国時代をはるかに上回っている。


(6)若者に期待されるもの
 「最近の若者はかわいそうだ。 就職するにも職がない。」 就職期に差しかかった子供を持つ親の共通した思いでしょう。経済成長の時代からバブル期にかけて、「青田刈り」ということばが流行し、企業の採用担当者は、学校に手土産持参で新卒者の求人にいらしたものです。雲泥の差があります。「就職したいが職がない」「大学は卒業したが職がない」。果たしていつまでもそうなのでしょうか。資源小国で、ライフラインのすべてを輸入に頼っている我が国は、21世紀以降においても引き続き、技術立国としてグローバル化という新しい枠組みの中で新たな挑戦を続ける必要があるのも事実だと思います。経済を立て直し、活力を取り戻さなければなりません。少子化傾向の中で高齢化が進み、中高年はリストラされています。ここで、経済が立ち直ってくれば、いっきに若者の出番となるでしょう。そして、高度化、グローバル化、複合化、多様化の時代です。これからの若者には、団塊の世代が若いときに要求された以上の能力が要求されると思います。「その日をどうにか面白くおかしく暮らせたらそれで良い。」という価値観もあっても良いとは思いますが、でも、若者が皆そうであっては困ります。将来を見据え、今自分は何をやらないといけないかを頭に叩き込み、地道に努力を続けることがやはり必要とされているのです。そのことは今も昔も変わりないことだと思います。若者の皆さんにはどうか、昨今の経済情勢にめげず、来るべき時に備えて実力を蓄えておいて欲しいと思います。


(7)中高年、生涯現役の生き方
 団塊の世代は今、リストラの嵐にあっています。50歳前後に達するとリストラの対象だというような空気が日本全体に蔓延しているようでなりません。本来、リストラとは「リストラクチャリング」の略で、事業を“再構築” することを意味しています。能力に関係なく年齢だけでリストラされるのであれば、単なる「人減らし」に過ぎないと言えます。団塊の世代の「会社員」の目標は概して、早く管理職になり昇進していくことでした。いわゆる出世です。西岡郁夫氏(モバイル・インターネットキャピタル社長)は、NIKKEI NET(日本経済新聞ホームページ)に、「”会社員”対”ビジネスパーソン”」と題するコラム(2002/01/15)を書かれています。以下に、その一部分を引用させて頂きます。


■日本社会でこれまで「会社員」という言葉が使われてきたこと自体が、「働く人が会社に囚(とら)われている」ことを表している。会社員は、その会社にいてこそバリューを発揮できているのだ。「その会社にいるからこそ部長でいられるし、その会社にいたからこそ取締役にもなれた」というわけだ。世間(=市場)からはバリューを認められていないため、一たび会社を離れると「部長」が「タダの人」になってしまう。


■「ビジネスパーソン」は、その言葉自体が「自身の”ビジネススキル”で職を得て報酬を得ている人(パーソン)」を示している。自分のビジネススキル(職業上の専門性、熟練、腕前)に重心が置かれている。「ビジネスパーソン」は常に自分の市場価値を上げていくことに努力しているし、会社もその努力を助ける仕組みの提供を求められる。


 中高年が本来の意味で、リストラの対象とされるのであれば、そうされないよう常に「ビジネススキル」を磨き続け、時代が必要とする「ビジネスパーソン」であり続けなければならないわけです。それをきついと感じリタイアするか、果敢に挑戦するかは個人の選択の問題とされるべきだと思います。日本の履歴書と米国の履歴書の一番の違いは、米国の履歴書では生年月日(つまり年齢)と性別を書かないことらしいです。中高年の方の制作されたホームページを拝見したり、また中高年の方々のメーリングリストのやり取りを見させて頂いていると、その活発な活動に驚くばかりです。中高年ということを伏せれば、若い人々らとなんら区別しようのない活動をされているように見受けられます。生涯現役でビジネススキルを発揮したいと思う人は、それが受け入れられるような仕組み作りが必要だと思います。そうしないと、若い人達だけに「おんぶにだっこ」というわけには行かない日がきっとくると思われます。



【参考】
(1)中小製造業の現状とこれからに関して、たとえば下記のサイトなどが参考になります。
「中小製造業の活力を取り戻すために」
http://www.nmiri.city.nagoya.jp/nmiri/meikoken/2002/14mg07.htm
(2)山崎正和氏のレポート「超民族性こそ身上−日本的カッコよさ」は、たとえば下記のサイトで紹介されています。http://homepage2.nifty.com/hassan/2002_W_Cup_jp/W-cup_japan_cool_jp.html
(3)「西岡郁夫の手紙〜ITとベンチャーを語る」は、下記のサイトでバックナンバーを見ることができます。http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_nishioka

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〈クイズ:「正直村」へ行くには?の正解)「あなたはこちらから来ましたね」と質問すれば良いです。




  2003.01.01 
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