特集  肥薩線 − 目次(INDEX)  



目次(INDEX)










 
 
 






肥薩線 矢岳駅〜真幸駅 − 熊本県・宮崎県
リバイバルえびの − 熊本県球磨村
SL人吉の風景 − 熊本県/肥薩線

築後百年の木造駅舎(1)〜大隅横川駅− 鹿児島県
大隅横川駅のノートから
築後百年の木造駅舎(2)〜嘉例川駅 − 鹿児島県
大畑駅〜肥薩線の駅− 熊本県人吉市
球磨川旅情 〜 春
帰郷かなわず〜第二山神トンネルの悲劇
100年の歳月

  
人吉・球磨の風景
  
人吉城跡と青井阿蘇神社− 人吉・球磨を訪ねて(1)
永国寺(幽霊寺) − 人吉・球磨を訪ねて(2)
石水寺 − 人吉・球磨を訪ねて(3)
茅葺の阿弥陀堂− 人吉・球磨を訪ねて(4)
ウンスンカルタ − 人吉・球磨を訪ねて(5)
球磨川づたひ 〜 山頭火を歩く(7)− 熊本県球磨村 
人吉、あさぎり町 〜 山頭火を歩く(8)− 熊本県


   
《JR九州・肥薩線》
  
熊本県の八代を起点に球磨川に沿って人吉まで走り、さらに山間をぬって鹿児島県の錦江湾に臨む町・隼人に至る全長 124Km余りの、全区間非電化のJR九州のローカル線が肥薩線です。八代駅から人吉駅までは川線と呼ばれる区間で、日本三大急流の一つである球磨川の渓谷沿いを走り、山線と呼ばれる人吉駅から吉松駅(鹿児島県)までの区間は、熊本・宮崎県境の国見山地の標高差 430mの山を越えます。門司(現在の門司港)から人吉を経由して鹿児島へ至る『鹿児島本線』として1909年(明治42年)に開業しますが、鹿児島県の西海岸廻りの現在線(現肥薩おれんじ鉄道)が開業すると肥薩線と改称し、ローカル線となりました。
 
山線のトンネル工事は、人里離れた山奥への資材搬入の困難さや水分の多い凝灰岩の地質による湧水などのため、困難を極めたといわれます。矢岳駅と真幸(まさき)駅間にある矢岳第一トンネルの両入口に刻まれている当時の逓信大臣・山縣伊三郎と鉄道院総裁・後藤新平の揮毫の扁額がそれを物語っています。『天下の難所をトンネルによって平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができるようになった』という意味の言葉が書かれています。
 
難工事の末、矢岳第一トンネルが1909年11月21日に完成すると、それによって肥薩線全線開通となりました。それから 100年、車社会の到来とともにローカル線が次々と廃止されるなかで、特に利用者の少ない区間については肥薩線でも廃止の可能性が取り沙汰されましたが、2004年3月13日の九州新幹線部分開業を期に、古くから残る駅舎や鉄道文化遺産などの観光資源に着目し、観光路線としての整備・PRが進められています。
百数年を経て今なお現役として使用されている大隅横川駅と嘉例川(かれいがわ)駅の木造駅舎、鹿児島中央駅〜吉松駅間に運行されている観光特急『はやとの風』、真の幸せに出逢えるという真幸(まさき)駅とそのスイッチバック。
 
日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持った大畑(おこば)駅。大畑駅には、開業当時の歴史を物語る『給水塔跡』や『洗顔場』も残されています。『日本三大車窓』の一つとされている『矢岳越え』の車窓からの眺望。そうした山線に運行されている観光列車『いさぶろう・しんぺい』の名は、山縣伊三郎と後藤新平の名を頂いたものです。
  
八代駅〜人吉駅間の川線では、『必勝お守り記念入場券』を販売している一勝地駅。日本で二ヶ所しか残されていない1908年(明治41年)アメリカブリッジ社製のトラス橋、第一球磨川橋梁と第一球磨川橋梁。そして、今年(2009年) 4月25日、熊本駅〜人吉駅間で運転を開始した『SL人吉』。 
  
全線開通からちょうど 100年目にあたった11月21日、各駅や沿線でいろいろな記念イベントが開かれました。山あいの田舎のローカル線ですが、肥薩線は 124Km余りに及ぶ全区間でそれぞれに魅力を持っていて、連休などにはたくさんの観光客で賑わいます。2011年3月には九州新幹線が全線開通します。あなたも機会を作って肥薩線を楽しんでみませんか。(2009.11.25)





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