♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
球磨川づたひ 〜 山頭火を歩く(7)− 熊本県球磨村
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上京しては熊本へ帰郷、帰郷しては上京を繰り返した後、熊本市内の離婚した妻サキノの古本屋『雅楽多』に寄宿した山頭火でしたが、『私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ』、昭和5年(1930年)9月9日48歳、過去の日記をすべて燃やし、行乞の旅に出ます。熊本から八代、日奈久、佐敷へ。佐敷から球磨川づたいを歩き、人吉に投宿したのは同年9月14日のことでした。捨てても捨てても捨てきれないものが乱れ雲のやうに胸中を右往左往する悶々(もんもん)としたなかで、ようやく『行乞記』を書きだすことが出来るようになります。初秋の9月、その球磨川づたいを訪ねました。(旅した日 2008年09月)
    
    
球磨川
一勝地と神瀬の中間付近の大阪間あたりの球磨川。この辺りが、ラフティング(ゴムボートによる急流下り)の終点になっています。左手が人吉街道(旧道)。
九月十四日 晴、朝夕の涼しさ、日中の暑さ、人吉町、宮川屋(三五・上)
昭和5年(1930年)9月14日、一泊三五銭、宿の印象は「上」 
球磨川づたひに五里歩いた、水も山もうつくしかつた、
筧の水を何杯飲んだことだらう。
一勝地で泊るつもりだつたが、汽車でこゝまで来た、
やつぱりさみしい、さみしい。
 
郵便局で留置の書信七通受取る、
友の温情は何物よりも嬉しい、読んでゐるうちにほろりとする。
行乞相があまりよくない、句も出来ない、
そして追憶が乱れ雲のやうに胸中を右往左往して困る。……

 
                             
〜『行乞記』(種田山頭火)より抜粋、以下も同じ

    種田山頭火
   

佐敷通りは神瀬で球磨川にぶち当たり、右折すると一勝地へ
大阪間改所
右写真の石垣の上の線路の向う側あたりは、大阪間改所という関所のようなものがあった場所です。ここは球磨から芦北にでる陸路と川筋の要衝でしたから、役人や足軽が何人もいて通る人や船で運ぶ荷物の検査をしていたのです。相良藩では改所のほか番代や番所といった役所をおいて街道筋の要所を管理させました。球磨村内では一勝地に番代、神瀬に改所があったほか、この対岸の松本と球磨川下流の多武除に番所があったそうです。
人吉街道
人吉街道といえば今では、国道219号の人吉・八代間をいうようですが、江戸・藩政時代から明治以前までは、人吉から球磨川づたいに下り、途中神瀬(こうのせ)で方向を変え、最も海に近い港町である佐敷に出るルートが人吉街道でした。
 
昭和5年9月9日の朝、佐敷の宿を出た山頭火は、その佐敷通りから球磨川に出て川づたいに歩き、途中で肥薩線の汽車に乗って人吉まで行きました。
大阪間改所(写真下)
人吉街道(旧道)球磨川沿いの民家(写真下)
呪うべき句を三つ四つ
 
  蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか
  青葉に寝ころぶや死を感じつゝ
  毒薬をふところにして天の川
  しづけさは死ぬるばかりの水が流れて 
直立した男性のシンボルと赤い鳥居の柴立姫神社(写真上)
柴立姫神社
(しばたてひめじんじゃ)
JR肥薩線一勝地駅から人吉街道(旧道)を球磨川に沿って下流へ進むこと約2kmJ。道路沿いに、男性の立派なシンボルが直立した赤い鳥居の神社があります。ご神体は、高さ30pほどの尼僧姿の石像で、まわりに大小様々の男根が所狭しと奉納されています。子宝、婦人病、腰の病、安産の神として、また男性の下の神様として霊験あらたかといわれ、県内外からたくさんの参拝があるそうですが、実は、この神社には思いも寄らぬ由来が伝わっているのです。
男性のシンボルをかたどったお手洗い(写真上)
ここでふと、山頭火のユーモラスな句を思い出します。
 
  ちんぽこも
  おそそも湧いて
  あふれる湯  山頭火
 

昭和9年5月26日、52歳のときに詠んだこの句は、句集『草木塔』に収録されています。山頭火は、山口県新山口市(旧小郡市)の其中庵から12kmの道のりを歩いて湯田温泉に出かけました。この句は、湯田温泉での情景を思い出して其中庵で詠んだものだそうです。
それにしても、柴立姫神社から眺める球磨川の急流は素晴らしい風景です(写真下)
熊本を出発するとき、
これまでの日記や手記はすべて焼き捨てゝしまつたが、
記憶に残つた句を整理した
 
単に句を整理するばかりぢやない、
私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐるのである、
たゞ捨てゝも/\捨てきれないものに涙が流れるのである
 
一勝地駅の方から眺める対岸の集落(写真上)
手造りのあたたかさが健在の渕田酒造本店(写真上)
渕田酒造本店
一勝地駅下の道路を進み、少しくすんだ赤錆の鉄道ガードをくぐると、すぐ目につくのが渕田酒造本店です。明治20年(1887年)頃創業を始めた球磨焼酎の醸造元で、レンガ造りの蔵内には30本の仕込み甕が並び、伝統を受け継ぐ『定圧蒸留』による焼酎の手造りが続けられています。球磨焼酎の醸造元の中で最下流にある蔵で、主な銘柄は、米焼酎『一勝地』『園乃泉』など。
一勝地
(いちしょうち)
人吉市街地中心から八代方向へ国道219号を10数km進むと、左手に球磨川を渡る大きな赤橋が見えてきます。この辺りが、縁起の良い地名で知られている一勝地です。向かって右手は、球磨村役場を中心として民家がまとまった集落となっており、左折して球磨橋を渡ると突き当たりにJR一勝地駅があります。
セキソの地蔵という地蔵さんを見かけました(写真下)
私もやうやく『行乞記』を書きだすことが出来るやうになつた。――
 

   私はまた旅に出た。
   所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、
   愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、
   浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、
   みじめなやすらかさを享楽してゐる私を
   あはれみ且つよろこぶ。

   水は流れる、
   雲は動いて止まない、
   風が吹けば木の葉が散る、
   魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、
   それでは、
   二本の足よ、歩けるだけ歩け、
   行けるところまで行け。
 
   旅のあけくれ、
   かれに触れこれに触れて、
   うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。
   私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。
一勝地温泉かわせみ(写真上)

一勝地駅
JR九州肥薩線の駅である一勝地駅は地元の農業協同組合であるJJA球磨に簡易委託された駅で、駅舎にはJA球磨一勝地駅支所が入居しています。一勝地という響きが受験生やスポーツ選手の間に広まり評判になり、入場券がお守り代わりに買い求められるようになりました。平日のみ『必勝お守り記念入場券』が販売されています。駅に隣接する一勝地郵便局でも販売しているそうです。
一勝地温泉かわせみ
球磨川の支流芋川沿いにある第3セクター運営の温泉施設。緑の山々や田畑にかこまれた山あいにあり、温泉は湯量豊富なアルカリ性天然温泉。大浴場、サウナ、露天風呂、うたせ湯などがあり、夏はアユ、冬はヤマメの塩焼きなど料理が美味しいことでも評判。地元の物産物を楽しめます。休日前の宿泊は半年先まで予約が入っているほどの人気だそうです。
必勝お守り記念入場券が評判の一勝地駅(写真左・下)
球磨川に沿ってはしるJR九州肥薩線のディーゼルカー(写真下)。2009年4月から観光SLが運行されます。
※ 行乞記(種田山頭火)は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)の『行乞記(一)』
(底本等のデータは下記の通り)から抜粋して記載してあります。
底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1989(平成元)年3月20日第4刷
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
      
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