♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
生誕の地・防府〜山頭火を歩く(4) − 山口県防府市
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山陽新幹線を新山口駅(旧小郡駅)で下車し、山陽本線に乗り換えて広島方面へ三つの目の駅が防府(ほうふ)です。山口県防府市は、句を愛し、酒を愛した漂泊の俳人、種田山頭火の生れ故郷です。山頭火は58歳で亡くなるニ年前に防府を訪れますが、敷地が850坪もあったという大地主屋敷の跡形はどこにもありませんでした。『うまれた家はあとかたもないほうたる』『雨ふる故郷ははだしであるく』。山頭火の生家跡、山頭火が小学校に通った道『山頭火の小径』、母フサと並んで墓碑が建てられている護国寺などを訪ねました。    (旅した日 2008年02月)


防府

JR防府駅の北口(てんじんぐち)の左手は、ミニ公園になっていて、水が流され(写真左下)、托鉢(たくはつ)姿の山頭火像(写真左)が建っています。台座には、句が刻まれています。

   ふるさとの水をのみ水をあび

一方、北口右側にある地域交流センター『アスピラート』前には。

   ふるさとや少年の口笛とあとやさき

その他、防府市内には70数基の句碑が建てられているそうです。


          〔防府と山頭火〕
防府市に大地主の長男として生まれた山頭火(本名・正一)は、11才の時、彼の心を一生涯ふさいでしまう衝撃的な事件に遭います。父の放蕩三昧と妾通いを苦に母が井戸に身を投じ自殺しまったのです。早稲田大学文学部に入学しますが、酒と文学に溺れ、高度の神経衰弱のため中退。帰郷。父子はみるみるうちに財産を食い潰してしまいます。なんとか立て直そうと開業した酒造場も、水質の良くないところに立地したため、酒蔵の酒が腐敗するなどして破産。山頭火は、妻子を連れて熊本市に落ちのびます。58才の生涯を閉じるまで全国を放浪し、生涯あわせて八万四千句にのぼる句を詠んでいますが、そのうちふるさとを詠んだものは300句以上といわれています。


生家跡
うまれた家はあとかたもないほうたる
防府駅から900mのところにある生家跡には、『うまれた家は・・・』の句碑が建てられ、あづまや風の立派な建物が建てられていました。この建物付近が、敷地850坪あった種田屋敷の正門で、そこを入ると中門があったそうです。
種田屋敷の跡地には現在、所狭しと民家が建てられ、当時を偲ばせるものは何もありませんが、ただ母が身を投じ自殺した井戸の石縁が残っているというので、近所の人に案内してもらいました。右写真の青色の波トタンがはられている壁のもとに見える石縁がそれです。この家の内に井戸も残っているそうです。

自由律の俳人として評価を得た山頭火でしたが、当時地元の人は『乞食坊主』などと言って、良く言うものはだれもなかったそうです。
いわば、歩く・作る・飲むが種田山頭火の人生でした。水をこよなく愛し、そして『酒を飲むよりも水を飲む。水を飲むように酒を飲む』と日記にも書いています。

  へうへうとして水を味ふ

生誕地近隣は、地下水が豊富で、茶人や料理人が好む軟水でした。山頭火が水にこだわったのは、小さい頃から、さわやかで少し甘い感じる美味しい水に親しんでいたからだそうです。
   
俳優の佐野浅夫さんが、山頭火に扮して名水を旅する番組(広島テレビ)があって、その番組で紹介されたという水が、山頭火生家前にありました(写真右)。


山頭火の小径
ふるさとの学校のからたちの花
山頭火の生家から、山頭火が通っていた松崎小学校までの道は『山頭火の小径』と名付けられた散策道になっていて、道沿いの家の門や塀に、手書きの山頭火の句がさりげなく掛けられています。



ほうたるこいこいふるさとにきた






晴れきった空はふるさと     
育ててくれた野や山は若葉




























ふるさとの河原に草咲きみだれ










草は咲くがままのてふてふ




雨ふる故郷は
雨ふる故郷ははだしてあるく
戎ヶ森児童公園に建てられた句碑。昭和29年(1954年)に、友人有志により建立されたもので、防府市内で最初にたてられた句碑だそうです。

護国寺
風の中おのれを責めつつ歩く
JR防府駅から1700mのところにある護国寺。境内には、山頭火の句碑11基のほか、顕彰墓があり、本堂には自筆句や愛用品などを展示した資料展示場があります。




ほろほろ酔うて木の葉ふる







涸れきった川をわたる



















枝に花が梅のしづけさ




















山頭火の顕彰墓
おたた(母)も或る日は来てくれる山の秋ふかく
山頭火は58歳で松山の一草庵に没しますが、亡骸は子息の手によって護国寺裏の共同墓地に葬られました。のちに護国寺に移され、墓碑が建てられました。隣りに母フサの墓が並んでいます。なお、山頭火の亡骸は、妻の住んでいた熊本市の安国禅寺にも分骨されているそうです。
 味取観音堂  日奈久  佐敷  山頭火と金子みすゞ

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