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♪Prologue | ||
KasedaMusicLabo | ||
日奈久 〜 山頭火を歩く(2) − 熊本県八代市 |
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八代市の中心街から約10km南に下ると日奈久(ひなぐ)です。日奈久は、室町期の1409年湧出の熊本県下で最も古い温泉場で、人と車がやっと離合できるぐらいの狭い道路の両側に家々が軒を連ねた街並みが由緒ある温泉場の雰囲気を今に伝えています。日奈久はまた、漂泊の俳人・種田山頭火(1882・明治15年〜1940・昭和15年)由来の町でもあります。山頭火は、昭和5年9月10日、日奈久を訪れて織屋(おりや)という木賃宿に3泊しました。泊まったその宿が当時の姿のまま残されていて、昔の旅の様子をしのぶことができます。山頭火は諸国を放浪し、方々で木賃宿に泊まりましたが、織屋だけが現存する唯一の建物となっています。3月末の暖かい快晴の日に、日奈久の街並みと織屋を訪ねました。 (旅した日 2006年03月) |
山頭火と日奈久 |
(昭和五年)九月十日 晴れ、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋(四十・上) |
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人と車がやっと離合できるぐらいの狭い道路の両側に家々が軒を連ねた街並みが由緒ある温泉場の雰囲気を今に伝えています。 |
方々の家の軒先に、丸太を薄く切って作った板に山頭火の句を書いて吊るしてあります。この光景は、童謡詩人・金子みすゞが生まれ育った山口県長門市仙崎を思い出させます。 |
木賃宿・織屋(おりや) |
ここの織屋の建物は、当初さほど遠くない場所にあって、旅籠屋(はたごや)だったそうです。大正時代にここへ移築されてから、炊事に用いる薪(まき)の分ほどの代金を払えば泊まれるという、いわゆる「木賃宿」(きちんやど)となりました。行商人や旅役者、遍路(へんろ)、旅僧など利用客は多かった、と言われています。木賃宿は相部屋が原則。客たちは二階の二部屋に寝泊まり、泊まり客が多いときは隣のレンガ倉庫も利用しておりました。 放浪の俳人・種田山頭火は、昭和5年(1930年)9月10日、ここの織屋を訪れ、12日まで三日間くつろいでおります。行乞(ぎょうこつき)日記に、宿銭は一泊につき「四十銭」、宿の印象は「上」、すなわち「中」でも「下」でもない上々の気持ち良い宿であったと記しております。 |
山頭火は諸国を放浪し、方々で木賃宿に泊まりましたが、時を経て現在に至っては、木賃宿の姿はほとんど消えてしまいました。ここの織屋だけは、山頭火が訪れた昭和5年当時の姿のままで残っていて、今となってはまことに貴重なものであります。昔の旅の様子がしのばれるこの建物の中を、じっくりご覧下さい。 〜 現地の案内板より転載 〜 |
九月九日 晴れ、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中) 私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方は無いのだ。七時の汽車で宇土へ、宿においてあった荷物を受け取って、九時の汽車で更に八代へ、宿を決めてから十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。 同宿四人、無駄話がとりどりに面白かった、殊に宇部の乞食爺さんの話、球磨の百万長者の欲深い話などは興味深いものであった 〔注〕ゲルト(ドイツ) Geld=主に戦前の学生語で、金(かね)、金銭のこと。 |
九月十一日 晴れ、滞在。 |
九月十三日 曇、時雨、佐敷町、川端屋(四十・上) 八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、三時間行乞、やっと食べて泊まるだけ頂いた。 此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな親切だった。夜は早く寝る、脚気が悪くて何をする元気もない。 〜 山頭火『昭和五年 日記抄』より 今は、おれんじ鉄道の無人駅となっている二見駅(写真左) |
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