レポート | ・情報とエントロピー −エントロピーの話し(3)− |
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情報とエントロピー −エントロピーの話し(3)−
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前回は、熱力学本来のエントロピーの定義について理解し、エネルギー問題の本質について考えてみました。今回のレポートは、次の2つのことを念頭に置いて読んで下さい。 (1)エントロピーは、無秩序な状態の度合いを表すもので、無秩序な状態ほどエントロピーが高く、整然として秩序の保たれている状態ほどエントロピーは低い。 (2)万物は、自然のままにほっておくと、常にそのエントロピーが増大する方向へ変化する(エントロピー増大の法則)。 情報とエントロピー 厚紙を正方形に切って、「が、き、ち、つ、て、は、に、の、れ、ん、5、8」のひらがな、あるいは数字のどれか一つを書き込んだカードを12枚、二組作りました。 その一組を、無造作に床の上に放り投げたら、図1のようになりました。もう一組のカードは、床の上に図2のように並べました。 (エントロピーが高い、情報量=0) (エントロピーが低い、情報を持っている。) 乱雑に散らばった状態にある図1のカードの配置が、情報を何も持っていないのに対して、整頓して並べられた図2のカードの配置は、「8月5日の天気は晴れ」という情報を持っています。このように、「エントロピーが低いということは、情報がより多い」ということに対応していて、数学的にもエントロピーと情報は同じ式で表されます。 情報は、物質(この例では12枚のカード)そのものではなく、その物質の並びのあり方なのです。 情報は失われる 時間が経って8月6日になれば、図2の情報の価値はどうでしょう。過ぎ去った日の天気予報はあまり役に立ちません。 ある製薬会社が非常に効き目の高い癌の特効薬を開発しました。その会社の株は爆発的に高騰するでしょう。この情報を誰よりも先に入手して株を買って置けば、金儲けができます。とても価値の高い情報です。 ところが、その情報がいったん新聞発表され、誰もが知るところとなるといっぺんにその価値は下がります。『情報(の価値)は、時間とともに失われる』、これが情報における「エントロピー増大の法則」にほかなりません。だから、記者は毎日、新しい情報を探して飛び回らなくてはなりません。 芸術とエントロピー 花屋さんから買ってきた花が花瓶に無造作に入れてあるのと、生け花の心得のある人が生けたのとでは、素材は同じ花でもその並びの美しさは違います。図1と図2の違いに似ています。 私たちは、生け花や絵画や音楽などを一つの情報として認識し、それに感動します。画家は、秩序ある状態にペンキを配置していきます。音楽家は、いろんな音色や高低や強弱のある音を時系列に配置していきます。 芸術は、物質(花やペンキや音などの素材)をどう配置して、人間をより感動させるエントロピーの低い作品を創造するかの問題です。 しかし、ここでも、エントロピーは例外なく増大していきます。美しい生け花といっても、同じ生け花が一ヶ月も飾られているとうんざりしてきます。流行歌はそのうち飽(あ)きられ、忘れ去られます。 人間により感動を与え(エントロピーが低く)、飽きのこない(エントロピーが増大しにくい)芸術がより優れた芸術であると言えるでしょう。 「客体のエントロピー」×「主体のエントロピー」 8月4日、明日瀬渡し舟をチャーターして釣りに出かけようと思って準備に入っているAさんにとっては、図2の天気予報の情報は、お金を払ってでも欲しい情報です。Bさんは、骨折して今入院中です。明日晴れようが雨になろうがあまり興味がありません。そんなBさんにとって、図2はあまり価値のある情報とは言えません。 極端な例が猫です。図1と図2のようにカードが配置されているそばを猫が通りかかりました。猫は意味が分かりません。猫にとっては、図1も図2も同じことです。むしろ散らばっている図1の方を面白いと思うかも知れません。 ある人はピカソの絵に感銘を受け、ある人はこんな絵画がなぜ数億円もするのだろうと思うかも知れません。音楽のジャンルもそれぞれ好き好きがあります。 情報の価値を認めたり、認めなかったりするAさんやBさん、図2を見ても何のことか分からない猫、そして生け花を美しいと思う人や、絵画や音楽を鑑賞して感動する人たちを「主体」(しゅたい)と呼び、主体の意志や行為の対象となる図1や図2のカードや生け花、絵画や音楽などを「客体」(きゃくたい)と呼ぶことにしましょう。 生け花や絵画や音楽などの「客体のエントロピー」がいかに低くても(価値があっても)、主体がそれに興味を示さないことには、つまり、「主体のエントロピー」が低くないことには、主体にとって客体の価値は存在しません。 逆に、「客体のエントロピー」があまり低くなくても、「主体のエントロピー」が低くければ、価値あるものとして存在します。例えば、「あばたも笑くぼ」という言葉がありますが、それがよい例です。すなわち、ある主体にとっての客体のエントロピー =「客体のエントロピー」×「主体のエントロピー」 ・・・式(1) という式が成り立つのではないでしょうか。 主体のポテンシャルを高める 知識や思考というポテンシャル(潜在能力)がないと、有益な情報もそれを理解して利用することができません。感性と言うポテンシャルがないと、せっかくの絵画や音楽などの芸術も私たちの心を打つことはありません。 また、客体は、主体のポテンシャルの写像であるということができます。知識がないと12枚のカードを図2のように並べて情報を作ることはできませんし、感性がないと絵画を描いたり、曲を書いたり演奏することはできません。 そうした知識や思考、感性といったポテンシャルは、一朝一夕に身につくものではありません。私たちが今身に付けているそれらのポテンシャルは、生まれて以来今日に至るまでの学習の賜物(たまもの)にほかなりません。 そして、主体のエントロピーだって、エントロピー増大の法則から逃れることはできません。自然のままにほっておくと、知識は失われ、思考能力は落ち、感性は鈍化し、私たちの内なる意識世界(主体)は混沌とした、無味乾燥な状態へ低級化していくでしょう。 常に知識や思考能力を高め、見識を広め、感性を研ぎ澄まして、主体のポテンシャルを高めることが、客体の価値の蘇生(そせい)・創造につながります。 情報は発生した瞬間からその価値を失い始め、最新モデルの製品は発売した瞬間から陳腐化を始めます。だから、情報社会や経済社会は、エントロピーが増大して活力(ポテンシャル)が失われないように、次から次へと新しい情報を生み出し、新製品を開発し続けます。 そうした外の世界の出来事の結果情報ばかりに意識がゆくと、内なる意識世界が次第に空洞化し、情報や利益やお金の虜(とりこ)となって、物質的な価値観の世界から抜け出せなくなります。 主体のポテンシャルを高めること、それは外の世界(客体)のエントロピーの作用を受けない純粋な内なる意識世界(主体)を確立ことでもあります。 まとめ (1)情報は物質の並びのあり方であり、エントロピーと同じ扱いがされる。つまり、エントロピーが低いほど情報量が多い。 (2)情報(の価値)は、時間とともに失われる(エントロピー増大の法則)。 (3)芸術は、物質をどう配置して、人間をより感動させるエントロピーの低い作品を創造するかの問題である。 (4)ある主体にとっての客体のエントロピー=「客体のエントロピー」×「主体のエントロピー」という式が成り立つ。 (5)情報を理解して利用したり、芸術に感動できるためには、知識や思考、感性といった、主体のポテンシャルを常に高める必要がある。 (6)主体のポテンシャルを高めること、それは外の世界(客体)のエントロピーの作用を受けない純粋な内なる意識世界(主体)を確立ことでもある。 (※注) ・「内なる意識世界」「外の世界の出来事」「結果情報」という言葉については、下記のサイトを参考にしました。 『フレンドコンパスNO.8』 → http://homepage1.nifty.com/com7/friend8.htm ・上述の式(1)は、あくまで著者の定性的な考え方を示そうと思って記述したものであって、一般的に認知されている式ではありません。 <次回予告> 前回の予告では、第3回は『感情とエントロピー』というテーマの予定でしたが、感情とエントロピーまで一気に書くと相当長いレポートになるので、今回は『情報とエントロピー 』という内容までにしました。人間と人間の関わりから恋愛感情まで含めて、次回は、『感情とエントロピー』という題でエントロピーを考えてみます。 |
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2004.08.18 |
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