レポート | ・台湾見聞録 |
− 台湾見聞録 −
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台湾については、すでに旅行記やレポートをご案内してきましたが、台湾旅行で印象に残ったもので、今まで触れていなかった事柄について列記してみました。 (1)東洋一の大水利事業 〜 八田與一 日本統治時代の台湾のインフラ整備は、植民地利権による日本の国力増強ために推し進められたものでしたが、結果として、戦後の台湾の発展に大いに寄与することになりました。児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造、明石元二郎などのインフラ整備1)、日月潭における水力発電2)、 西郷菊次郎の宜蘭川堤防3) について、すでにレポートしましたが、八田與一に触れておかねばなりません。八田 與一(はった よいち、1886〜1942年)は、大正期から昭和初期にかけて活躍した水利技術者で、現在の石川県金沢市の出身。 台湾南部に広がる嘉南平野は、台湾全耕作地面積の6分の1を占める台湾最大の平原でしたが、雨期には集中豪雨のたびに河水が氾濫し、乾期には干ばつに見舞われる不毛の地でした。日本統治時代、八田與一は大正9年(1920年)から10年の歳月をかけて、上流の烏山頭に大規模なダムを造り、平野部に1万6千kmもの給排水路を張り巡らすという東洋最大の水利事業を完成させ、不毛の平原を台湾一の穀物の宝庫に変えました。 烏山頭ダムでは、現在でも與一の命日である5月8日には慰霊祭が行われているそうです。また、現在烏山頭ダムにある與一の銅像はダムの完成後の昭和6年(1931年)に作られたものですが、戦後の蒋介石の国民党時代、日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠され、昭和56年(1981年)に再びダムを見下ろす元の場所に設置されたそうです4)。 八田與一は、現在もなお嘉南の農民に、父のように慕われているそうです。 (2)屋上の貯水タンク 日本統治時代に台湾の公共衛生改善の取り組みもなされました。設備方面では、大規模な上下水道システムが東京よりも早く敷設されました。水道といえば、台湾では、一戸建ての家だけでなく、ビルやマンションの屋上におびただしい数の貯水タンクが設置されており、台湾の象徴的な景色になっています。 水道会社から供給されている水の圧力では上方の階まで水を上げられないので、屋上にタンクを設置しポンプでいったん汲み上げて置かなければならないわけです。事情は日本でも大体同じですが、台湾では、丸型のステンレス製タンクが屋上にむき出しに設置されているのです。
(3)窓の鉄格子 台湾の住宅やビルで目に付くもう一つのものが鉄格子窓です。ある程度年数を経ていると思われる住宅や商用のビルなどには、窓に鉄格子がはめてあり、まるで『牢屋』の家やビルみたいなのです。ツアーコンダクターは、子供が窓から転落するのを防ぐのが目的だと説明しましたが、泥棒の侵入防止だという話しも聞きました。 台湾の治安はおおむね良好で、旅行でもヨーロッパ各国のようにスリや置き引きなどに神経をとがらすこともなければ、深夜の一人歩きも、人通りの多い大きな通りだとまず問題ないといわれます。なのに、窓にものものしい泥棒除けの鉄格子とは、理解が行きません。それも、1〜2階だけでなく、上階までくまなく鉄格子がはめられているのです。 日本統治時代までは治安が良かったものの、戦後の二・二八事件以降、泥棒などが増えて、多くの人が窓に鉄格子をはめて自己防衛していた習慣が今でも残っているのではないかという説もあるようですが、理解できない台湾の窓の鉄格子でした。
(4)バイク(スクータ)の群れ 日本では、国民一人に一台のマイカー(自家用車)なのに対して、台湾では、国民一人に一台のバイク(スクータ)です。大通りや路地を、バイクの群れが、まるで水族館の大水槽の魚群のように走り去っていきます。タクシーから降りるときなど、バイクに気をつけるようにとは、ツアーコンダクターのアドバイスでした。
(5)台湾の漢字 現在台湾で使用されている漢字は『繁体字』と呼ばれる表記で、現在のところもっとも原型に近い漢字です。それに対して、中国大陸で使用されている『簡体字』は、大幅に簡略化されたものです。それらの中間にあるのが日本で使われている『日本字』です。日本人にとって簡略化され過ぎている大陸の漢字より、台湾の漢字の方が分かりやすいです。台湾の街角で見かけた漢字をいくつか列挙してみました。なるほどと思えて面白いです。 證照査験(入国審査)、洗手間(お手洗い)、電梯(エレベーター)、女厠(女子トイレ)、汽車(自動車)、火車(電車)、高速公路(高速道路)、公用電話(公衆電話)、小心注意(細心の注意)、牙医診療(歯科医院)、博愛座(優先席) 購買中心(ショッピングセンター)、便利商店(コンビニエンスストア)、宋三百貨店(ソゴー百貨店)、全家(ファミリーマート)、雀巣珈琲(ネスカフェ)、変富労(マクドナルド)、可口可楽(コカコーラ)、肯徳甚(ケンタッキーフライドチキン) 聖羅蘭(イブサンローラン)、登喜路(ダンヒル)、香奈兒(シャネル)、紀梵希(ジバンシー)、軒尼詩(ヘネシー)、佳麗寶(カネボウ)、労力士(ローレックス) 水菓(フルーツ)、芒果(マンゴー)、茘枝(ライチ)、鳳梨(パイナップル)、香蕉(バナナ)、火龍果(ドラゴンフルーツ)、木瓜(パパイヤ)、西瓜(スイカ) (補遺1) このレポートをお読み頂いた大阪在住の坐忘さんから、下記のお便りを頂きました。 坐忘さん、貴重なコメントをありがとう御座いました。 今回、台湾での八田與一の活躍をお知らせ頂きましたが、もうひとり鳥居信平という人物ももっと知られて然るべき人物ですね。鳥居信平は台湾南部の現・屏東県に環境型地下ダムを作ったことで知られていますが、彼も八田と同じく地元の人には忘れられない存在で、昨年7月に屏東県の知事さんたちが鳥居の出身地である静岡県袋井市まで来て鳥居の胸像を寄贈しました。そのときの模様は日本文化チャンネル桜で放映され、わたしもこれを見て驚いたものでした。番組の動画はここです。 → http://www.youtube.com/watch?v=1k4n-TCjZwo ご参考になれば幸いです。 (補遺2) 後日、坐忘さんから台湾のダムの後編の動画のご案内を頂きました。→ http://www.youtube.com/watch?v=dXmuM6-Dbbw 【参考にしたサイト】 (1)レポート ・日本統治と台湾のインフラ (2)レポート ・日月潭と水力発電 (3)レポート ・西郷菊次郎と台湾 〜 西南戦争人物伝(4) (4)ウィキペディアの八田與一のページ |
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2010.09.15 | ||||||
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