レポート | ・春慶塗と一位一刀彫 |
− 春慶塗と一位一刀彫 −
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年間 200万人を越える観光客が訪れる『飛騨高山』は、春慶塗(しゅんけいぬり)や一位一刀彫(いちいいっとうぼり)、飛騨家具など、現在も多くの匠(たくみ)が『飛騨の匠』の伝統を今に伝えている町です。飛騨の匠の歴史と春慶塗、一位一刀彫について調べました。
山国で豊かな森林に恵まれた飛騨は、昔より優れた木こりや大工がたくさんいたところでした。奈良時代、大化の改新( 646年)により、租・庸・調の税制度が実施されると、平地が乏しい飛騨は、米や織物を納める代わりに、1里(50戸)ごとに匠丁(しょうてい:今の大工)10人を差し出さなければなりませんでした。 当時の飛騨は、10里( 500戸)程度だったようですから、年間約 100人の匠が都に徴用されたことになります。匠は、5人一組になって都へ出かけ、一年間、宮殿や大寺院を建てる労役に従事しました。 労役は、多いときには1年に 350日という過酷なものだったようで、病に倒れる者や労役に耐えかねて逃げ出したりする者もいたようですが、『飛騨の匠』の名は、都をはじめ全国に鳴り響いていたと言われます。 平安時代末期までの約 500年の間に、延べにして4〜万人の匠が働きに出たといわれます。匠たちは役目が終わって帰ってくると、都の新しい文化を故郷の国づくりのために生かすことになりました。
慶長11年(1606年)、たまたまうち割った椹(さわら)のへぎ目(丸太を裂いたとき、裂かれた面にで出る自然の板目)の美しさに感動した高山の大工棟梁・高橋喜左衛門は、これを風雅な盆に仕上げました。 それを、茶道宗和流の開祖・金森重近に献上したところ、大変気に入り、御用塗師の成田三右衛門に、素地の美しさを生かして塗上げるよう命じたのが、春慶塗の始まりだと言われています。 生地に透き漆(すきうるし)をかけ、心豊かな琥珀色に塗り上げ、天然の木目の美しさをそのまま生かしたのが特徴で、茶道の名器『飛春慶』の色に似ていたところから『春慶塗』と命名されたそうです。 素材には、檜(ヒノキ)や椹(サワラ)などが用いられ、初期の頃は、膳、盆の類が多かったようですが、江戸末期になって、重箱などの角ものや茶道の水指し、水つぎなどの曲物が出現するようになりました。 ・春慶塗りのいくつかの写真を見る。 → http://washimo-web.jp//Trip/Takayama/takumi.htm
一位とは、イチイ科に属する常緑樹・イチイ(一位)の木のことです。一刀彫とは、一本の刀だけで彫るという意味ではなく、一刀一刀(一削り一削り)に魂をこめて彫ることから、そう言われるようになりました。ひとつの作品を作るのに使われるノミは、およそ30〜50丁を数えるそうです。 イチイの木は、別名アララギとも言いますが、イチイの語源は、平安時代の平治元年(1159年)天皇即位の折に、この木で造った笏(しゃく:神主などが束帯のとき右手に持って使う薄い板)を飛騨より献上したところ、他の材より優れていると云うことで位階の正一位にちなんで賜ったと言われています。 江戸末期に、松田亮長という人が、着色せずに刃跡を鋭く残して彫り上げる独創的な技法を完成させたのが、一位一刀彫の始まりと言われ、その技法が今に伝えられています。 高山市の屋台会館へ行く途中に、一位一刀彫の実演と即売の店があったので入ってみました。店の主人は作品を制作中で、作業台の上には、あくびをしている達磨や狸の彫り物が並べてあって、あくびが出るくらい人生のんびりラックスして行こうという意味の達磨だとか、狸の置き物は、なぜ雄(オス)狸かわかりますか?、などと面白く話しをしてくれます。 料理屋などの玄関に、雄狸の信楽焼が置いてあるのは、『前金でお願いします!』ということですよ。前金がザクザク入るように縁起をかついで、ほら、この狸を見て下さい。『金出し狸』ですよ! というので、よく見ると、出たりへこんだりするようになっているではありませんか。 お土産に、『福来(ふくら)雀根付』と『ふくろう根付』を、一個ずつ買いました。それぞれ、 750円でした。根付とは、吊るすためについているヒモのことですね。お金を渡すとき、主人は、『これを一個作るのに一時間かかるんですよ! だから私の時給は、 700円ということです。』と言います。 ・イチイの木、あくびや金出し狸、福来(ふくら)雀根付などの写真を見る。 → http://washimo-web.jp//Trip/Takayama/takumi.htm 旅先で、児童や生徒が取材にきているのに良く出くわします。一位一刀彫の店でもそうでした。店を出ようとすると、入口に女先生と何人かの生徒が待っています。一位一刀彫の実演の取材に来たようです。このような体験学習を通して伝統工芸が若い人たちに伝えられて行くのだな・・・とか、果たして店の主人は、子供たちにも『金出し狸』の話しするのかな・・・などと考えながら、屋台会館へ向いました。 高山祭の豪華絢爛な屋台は、外観の美しさだけでなく、曳いたときに前後左右に揺れるところにまた風情があるのだそうですが、わざと車輪の中心を少しずらせて揺れ動く工夫がされているそうです。柱やほぞにあそびを設けることで屋台をより一層堅固にしています。屋台にも、飛騨の匠たちの技術が脈々と受け継がれています。 【参考にしたサイト】 [1]わかりやすい飛騨の歴史! → http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/hidarekisi.htm [2]元田漆器株式会社 - 歴史と伝統 - → http://www.genda.co.jp/history/index.html 【関係ページ】 下記アドレスに飛騨高山と飛騨古川の旅行記があります。 ■旅行記 ・飛騨高山 − 岐阜高山市 → http://washimo-web.jp//Trip/Takayama/takayama.htm ■旅行記 ・飛騨古川 − 岐阜飛騨市 → http://washimo-web.jp/Trip/Furukawa/furukawa.htm |
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2006.07.05 | ||||
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