♪美しき天然
おやじの歌
昭和の町 − 大分県豊後高田市
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昭和30年代の子供の頃、それは祖母や母が割烹着をきてホウキやハタキで掃除していた時代でした。縁側には足踏みのシンガーミシンが置いてあり、トランジスタラジオからは昭和歌謡が流れていました。決してまだ豊かな時代ではなかったけど、テレビやスクーターや耕運機などの普及が始まり、右肩上がりの高度成長時代へのきざしが見えてきて、日本中に明るさと元気があふれ始めていた時代でした。昭和の時代に別れを告げて今年ではや15年目。昭和のそんな時代を懐かしく思うときがあります。胸を焦がすような昭和30年代のモノや町や人を再現しようとしているところが大分県にあります。国東(くにさき)半島の付け根に位置する豊後高田市です。小倉から特急ソニックに乗って約1時間、宇佐駅で下りでバスにのって約20分で豊後高田に着きます。「昭和の商店街」「昭和の街角」「昭和の暮らし」の3つのページに分けて、アップロードしました。下のメニューバーで切り替えてご覧下さい。                                    (旅した日 2003年5月)
                                    
昭和の商店街
豊後高田は、国東(くにさき)半島一の賑やかな「お街」。戦前からミルクセーキが食べられる街、劇場寿座が満員御礼を出す街でした(豊後高田商工会議所「豊後高田昭和の町」パンフレットより)。昭和30年代の面影を漂わせる町並み作りが進められており、現在17軒のお店が改装を終え、「昭和の店」をオープンしています。そのうちの何軒かを紹介します。
二代目餅屋清末「杵や」(写真左)昭和38年創業、昭和25年代築。草団子・豆大福・おこわ御膳など、もち米・小豆・水に徹底的にこだわった喫茶、食事メニューでお迎えします。カフェバー「Boulevardブルウァール」(写真右下)昭和7年創業、昭和40年代築。アルミの食器に盛られた「昭和の給食」(写真右上)が食べられます。ミンク鯨の竜田揚げと魚肉ソーセージのポテトサラダ、コッペパンなど懐かしい味に出会えました。
森川豊国堂(写真左上)大正8年創業、大正8年築。大正時代からハイカラな庶民の味を提供してきたお菓子屋さん。手作りのアイスキャンデー(100円)、ミルクセーキ(大280円、小180円)(写真左下)が今でも食べられます。肉の金岡(かなおか)(写真右)創業昭和26年、昭和26年築。最高級の豊後牛が自慢のお肉屋さん。昭和のおかずが偲ばれる自家製おからコロッケがあります。注文してから揚げてくます。
塩屋商店(写真上左)大正15年創業、明治時代築。ウインドウに2代おかみの明治時代の嫁入り道具が展示されています。ウエガキ薬局(写真上右)大正7年創業、昭和12年築。漢方の千草堂・安東薬局(写真下左)明治35年創業、昭和初年築。明治時代の創業で、昭和初年以来の雰囲気をそのまま残しているお薬屋さん。はかりや(写真下右)慶応3年創業、昭和3年築。老舗の醸造元。
千嶋茶舗(写真上左)大正11年創業、大正時代築。「昭和の玄米茶」は昔ながらの紙包みの袋に入れて売られています。釘屋金物店(写真上右)明治35年創業、明治時代築。「漆塗りの金字看板」が一店一宝です。日名子鮮魚店(写真下左)昭和27創業、大正5年築。「初代形見の創業看板」が一店一宝です。宇佐参宮タクシー(写真下右)昭和18年創業、大正5年築。「昭和思い出のクラシックタクシー」が置いてあります。
編集後記
BGMに用いた『美しき天然』は、作詞・武鳥羽衣、作曲・田中穂積によって、明治33年(1900)に完成した、日本初のワルツとされている歌謡です。佐世保海兵団軍楽隊長で、私立佐世保女学校の音楽教師でもあった田中穂積は、美しい九十九島の景観を教材にしようと考えていました。折よく東京高等女子師範の教師、武島羽衣の詩を入手した田中は、これにほれ込み曲をつけたと言われます。大正、昭和期にはサーカスやチンドン屋などが客の呼び込みで演奏する曲として全国に広まりました。
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