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金子みすゞ記念館 |
『金子みすゞ記念館』案内板 |
金子みすゞ 童謡詩人・金子みすゞ(本名金子テル)は、明治36年(1903年)山口県大津郡仙崎村(今の長門市仙崎)に生まれました。当時、仙崎で唯一の本屋である生家で書物に親しんで成長したみすゞは、大津高等女学校(今の大津高校)時代から文才を発揮します。 |
金子みすゞのモザイク画 |
20歳の時、下関に移り住んだみすゞは、本屋の店員をしながら童謡を書きはじめ、おもに雑誌『童謡』に投稿。選者の西條八十から『若き童謡詩人の中の巨星』と期待されましたが、昭和5年(1930年)26歳の若さでこの世を去りました。生い立ちも姿も知られぬまま、長らく『幻の童謡詩人』とされていました。しかし、 |
金子みすゞ記念館(金子文英堂跡) |
昭和57年(1982年)童謡詩人・矢崎節夫氏の長年の努力により遺稿集が見つかると蘇り始めます。みすゞの作品は、ふるさと仙崎の風物をやさしいまなざして見つめ、いのちのこと、心のこと、見えないけどあるということ、ちがうことのすばらしさなど、人として最も大切なことを美しいことばで歌い、多くの人たちの心を感動させています。 |
金子みすゞ記念館(金子文英堂跡) |
金子みすゞ記念館 みすゞ生誕 100年に当たる平成15年(2003年)4月、みすゞが幼少期を過ごした書店金子文英堂跡地に『金子みすゞ記念館』がオープンしました。没後50余年を経て甦ったみすゞの足跡をたどり、その業績を顕彰する記念館であるとともに、地域の人々やみすゞファンの文化活動・創作活動を支援するための交流拠点でもあります。 |
『郵便局の椿』 |
通りに面したおもてに、金子文英堂の建物や庭が復元され、その奥の本館棟は、遺稿集や着物などの遺品を展示した常設展示室、パソコンによる資料の検索室、みすゞの詩の世界を音と光で体感できるみすゞギャラリーなどを備え、みすゞの生涯や生きてきた時代を偲ぶことができます。 |
映画『みすゞ』のロケ風景パネル |
映画『みすゞ』 西條八十に絶賛を受けながらも、26歳で夭折した童話詩人、金子みすゞ。優れた素晴らしい作品を残しながらも自ら死を選んだ彼女のその温かい優しい詩作の裏に秘められた真実に迫った作品。主演、田中美里。監督は『地雷を踏んだらサヨウナラ』の五十嵐匠。劇場公開日2001年10月27日。 |
みすゞ通りのモニュメント |
仙崎みすゞ通り JR仙崎駅から北へ約1Kmにわたって延びる通りは、昔ながらのたたずまいが残る町並み、懐かしく温かい空間です。みすゞの墓のある遍照寺や生家跡、そして童謡に歌われた風物が多く残っていることから、みすゞの功績を称えるべく平成3年(1991年)に『仙崎みすゞ通り』の名が付けられました。 |
みすゞ通り』 |
通り沿いの民家の軒先や玄関には手作りの金子みすゞの詩札が下げられ、街並みは懐かしく温かい雰囲気に包まれていて、町を歩くことで、みすゞのたくさんの詩にふれることができます。そして、『金子みすゞ記念館』『金子みすゞブロンズ像』、仙崎の特産品『かまぼこ』の板を使ったみすゞのモザイク画などを楽しむことができます。 |
金子みすゞの案内板(JR仙崎駅) |
JR仙崎駅 かつて駅事務室と手荷物取扱所であったスペースに金子みすゞに関する資料を集めた展示施設『みすゞ館』が設けられていましたが、『金子みすゞ記念館』の開館にあわせて模様替えされました。それでも、金子みすゞの出身地としての強い存在感を今なお放し続けています。 |
『みすゞ潮彩』(仙崎駅) |
観光列車『みすゞ潮彩』 JR西日本では、山陰本線西部の自治体である山口県下関市と長門市の要望により、2007年(平成19年)7月から2017年(平成29年)1月29日までの約10年間、土曜・休日に新下関駅 〜 仙崎駅間に1往復、観光列車『みすゞ潮彩』を運行しました。 |
JR仙崎駅内のパネル |
列車名は、長門市仙崎出身で下関市で生涯を送った童謡詩人・金子みすゞに由来し、公募により決定されました。車両はみすゞの生きた大正時代の『大正ロマン』をイメージして、アール・デコ調にデザインされました。仙崎へと向かう列車の車内では金子みすゞを紹介する紙芝居も上演されたそうです。 |
仙崎の海 |
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