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植木学校跡 |
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植木学校跡・石標と説明板 |
熊本市植木町の植木小学校近くのマンションの駐車場に隣接して『植木学校跡』という石標と説明板があります。玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)の出身の自由民権運動家・宮崎八郎は、平川惟一らと、熊本民権党の組織化をはかり、その同志たちの結束と民権主義者の育成拠点として、『植木学校』の開校を計画します。1875(明治8)年4月、許可を得て、旧正院手永会所跡に変則の県立『植木中学校(通称、植木学校、公式には熊本第五番中学)』を開校。生徒数は5〜60名とも80名とも伝えられ、熊本城下の士族、熊本県北部の郷士の子弟たちが学びました。 |
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植木学校(変則第五番中学校跡地の)石標 |
教科書には文明史、万国史、万国公法、万法精理(モンテスキュー)、自由之理(ミル)、民約論(ルソー)の翻訳や日本外史、日本政記の漢籍、福沢諭吉の著書などが使用されたといわれます。学校で学んだことは直ちに実践する方針だったので、開校時から県民会の開設要求や戸長の公選要求、戸長征伐の指導的中心の役割を果たしていました。このような植木学校の活動を苦々しく感じた権令(現在の県知事にあたる)は閉鎖を命令しわずか半年で廃校となりました。(参考:肥後国 くまもとの歴史) |
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植木学校跡地・説明板 |
植木学校跡(説明文) ここは明治8年(1875)4月26日に開校した変則熊本第五番中学校、通称植木学校のあったところである。もとは山本郡正院手永会所(現在の町役場のような施設)があり、これを改造して校舎とした。同校は宮崎八郎等の熊本民権党が中心になり設立、運営した極めて先進的な学校で、中江兆民の訳によるルソーの『民約論』を経典とした。 |
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植木学校跡 |