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子規堂 |
子規堂 |
子規堂(しきどう) 愛媛県松山市にある、松山出身の俳聖・正岡子規(まさおかしき)にちなむ観光施設です。入館料50円。正岡子規の文学仲間で、正岡家の菩提寺である正宗寺(しょうじゅうじ 臨済宗妙心寺派)の住職であった仏海禅師(ぶっかいぜんし)が、子規の業績を記念し、子規が17歳まで過ごした住居を境内に復元した文学資料館です。 |
子規堂の説明板 |
内部には、子規や親交の深かった夏目漱石らに関係する原稿などの文学資料や写真、各種文献など貴重な資料が展示されているほか、子規が松山中学に入学した際に増築してつくってもらった三畳の勉強部屋が復元されています。子規堂の正面には、17歳で東京に旅立った子規のイメージ像『旅だち』の銅像があります。 |
17歳で東京へ旅立つ子規のイメージ像 |
一方、子規堂前の広場(観光バス等の駐車場も兼ねる)の一角には、夏目漱石の胸像、当時運行されていた「坊っちゃん列車」の客車、俳句ポスト、子規とベースボールの碑などがあります。また、南に隣接する墓地入り口近くには、子規の埋髪塔と内藤鳴雪の埋髭塔、ホトトギス六百号記念句碑などがあります。 |
子規堂の内部(子規らの資料展示品) |
正岡子規 本名正岡常規(つねのり)。慶応3年9月17日松山市に生まれました。明治35年9月19日36歳で死去。我が国に野球が導入された最初の頃の熱心な選手であり、明治22年(1889年)19歳の時に喀血してやめるまで続けてました。ポジションは捕手でした。 |
子規の勉強部屋(当時のままに復元) |
子規は明治23年(1890年)に、自分の幼名・升(のぼる)から野と球とをかけ合わせて野球(のぼーる)という言葉をつくって雅号として使い始めました。やがて松山の地にはじめて野球を伝えました。明治25年日本新聞社の社員となります。日清戦争に従軍記者で活躍。 |
勉強部屋が出来るまで使っていた文机 |
明治28年(1895年)に東京時代の学友であった夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任。漱石の下宿、愚陀仏庵(ぐだぶつあん)に52日間に渡って寄寓し、この時松山の新派俳句は興ったといわれます。俳句雑誌『ホトトギス』等によって新派俳句を全国に普及させました。また叙事文、写生分を提唱し当時の小説家達に影響を与えました。 |
三十三歳(明治33年)の子規 |
『病牀六尺』 病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅(わず)かにに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団(ふとん)の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚(はなは)だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。 |
『病床図画賛』(複製) |
苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤(まひざい)、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪(むさぼ)る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪(しゃく)にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。(以上、正岡子規・著『病牀六尺』の冒頭より) |
松山時代の漱石居、愚陀仏庵 |
『病床図画賛』 病床の自分を描いた絵で実物は、松山市立子規記念博物館に所蔵されています。2つの俳句、『湯たんぽに足のとどかぬふとんかな』(四方太)、『画箋紙に鼻水にじむ寒さかな』(鳴雪)が書かれています。四方太は坂本四方太、鳴雪は内藤鳴雪で、どちらも子規の門弟です。 |
愚陀仏庵 |
愚陀仏庵(ぐだぶつあん) 子規は明治28年最後の帰省の際、当時松山中学の英語の教師であった夏目漱石の居、愚陀仏庵に五十二日を過し地方の俳人を指導しました。『ホトトギス』発刊の機会ともなり、また名作『坊ちゃん』の中にも出て来る建物でもあります。子規が寄寓するようになって、病後の友をいたわり、漱石は自分の書斎を二階の部屋に移したといわれます。 |
子規の埋髪塔(右)と内藤鳴雪の埋髭塔(左) |
子規堂 附埋髪塔 愛媛県指定記念物(史跡)。昭和23年10月28日指定。正岡子規は、慶応3年(1867年)9月、温泉郡藤原新町(現在の松山市花園町)で生まれたが、まもなく湊町4丁目に転居、17歳で上京するまでここに住んでいた。大正15年(1926年)、この旧宅の用材を使い、柳原極堂の記憶に基づいて、最初が建てられた。その後、昭和8年(1933年)の火災、同20年(1945年)の松山空襲によって二回焼失した。になります。 |
ホトトギス六百号記念句碑 |
現在の建物は、昭和21年(1946年)の再建である。室内には子規の遺墨や遺品が数多く展示されている。埋髪塔は、明治37年(1904年)子規の三周忌に正宗寺の住職仏海が遺髪を埋めて建立したもので、拝石に彫られた子規像と文字は、下村為山の筆になるものである。松山市教育委員会。以上、現地の案内板より。 |
坊っちゃん列車の客車など |
【参考にしたサイト】 (1)子規堂 - Wikipedia (2)正岡子規 - Wikipedia (3)正岡子規・著『病牀六尺』(青空文庫) |
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