♪無言歌(フォーレ)
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かごしま 向田邦子文学散歩(2) − 鹿児島市
                        (
TVドラマ脚本家、エッセイスト、小説家だった向田邦子さん(1929年11月28日〜 1981年8月22日)は、東京に生まれ、保険会社につとめる父の転勤により、一家で鹿児島に移り、9歳から11歳の少女期を鹿児島で過ごしました。わずか2年3ヶ月でしたが、向田さんは、終生、鹿児島を『故郷もどき』と呼んで愛し、作品にもしばしば登場させました。今年(2009年)11月28日が生誕80年になるのを記念して、鹿児島市のかごしま近代文学館で、約450点の遺品を展示する向田邦子特別企画展(10/16〜11/30)が開催されました。特別企画展をみた後、向田邦子さんのエッセイに登場するかごしまゆかりの場所をあらためて歩いてみました。                       (旅した日 2009年11月)
  
  
甲突川
日新公いろは歌の広場(写真上)
うなぎをとって遊んだり、父の釣りのお供をした甲突川や、天保山海水場を見たかった。山下小学校の校門をくぐり天文館通りを歩きたかった。友達にも逢いたかった。
      〜『眠る盃』(鹿児島感傷旅行)より。
鹿児島市郡山町にそびえる八重山中腹の甲突池から発して南東に流れ、鹿児島市街地を南北に分けながら鹿児島湾(錦江湾)に注ぐ甲突川は、藩政時代は鹿児島城の外堀と位置づけられた川でした。甲突川に面した城下一帯は加治屋町と呼ばれ、下級武士それも特に貧しい武士たちが多く住んでいた地域でしたが、西郷隆盛や大久保利通をはじめ、東郷平八郎、西郷従道、大山巌など、多くの英傑が輩出しました。現在は、島津家中興の祖、日新公(島津忠良)のいろは歌の広場や下級武士屋敷などが配置された『歴史ロード”維新ふるさとの道”』として整備され、市民の憩いの場となっています。

『維新ふるさと館』(写真左)は、1994年4月に開館したもので、明治維新を中心に薩摩の歴史を探訪できる施設です。近隣には西郷隆盛誕生地、大久保利通生い立ちの地、大山巌誕生地などがあります。
維新ふるさと館(写真上) 再現された下級武士屋敷(写真下)
フランシスコ・ザビエル公園
平成12年に建てられた新しいザビエル教会(写真下) ザビエル滞鹿記念碑(写真上)

また、道路をはさんでザビエル公園の向かい側にあるザビエル教会は、昭和24年(1949年)にローマ法王の寄付金をもとに再建されたゴシック建築の教会でしたが、これも平成12年(2000年)に近代的な教会に建て替えられました。
フランシスコ・ザビエル公園は、向田さんが住んでいた平之町と通っていた山下小学校のすぐ近くにあります。
三十年前の鹿児島の町がよみがえってきた。学校のそばの枝元という大きな醤油問屋。野上どんと呼んでいた大きな西洋館の邸宅。天文館通りのにぎわい。フランシスコ・ザビエル教会の静かなたたずまい。〜『父の詫び状』(お辞儀)より
天文18年(1549)に、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、薩摩人ヤジロウの案内で鹿児島に上陸したのが日本最初のキリスト教伝来でしたが、仏教徒の激しい反対にあったため、ザビエルは十ヶ月で平戸に移っていきました。鹿児島市東千石町のザビエル公園の地に明治44年(1911年)、ザビエル渡来を記念して、鹿児島県内初の石造り教会が建てられました。しかし、昭和20年(1945年)の戦災で焼けてしまい、焼け残った旧教会の石壁を利用して建てられたのが、ザビエル鹿滞在記念です。
  
  
向田邦子展
わずか2年3ヶ月でしたが、多感な少女期を鹿児島で過ごした向田さんは、終生、鹿児島を『故郷もどき』と呼んで愛し、作品にもしばしば登場させました。その向田さんの約9300点にも及ぶ遺品の大半は鹿児島市のかごしま近代文学館によって所蔵されています。これは、故郷もどきへ”嫁入り”させようという母・せいさんの意向によって同館に寄贈されたものです。そのかごしま近代文学館で、今年(2009年)11月28日が生誕80年になるのを記念して、向田邦子特別企画展(10/16〜11/30)が開催されました。
ポスターより(写真下)

入場チケットより(写真上)
今回の特別企画点では、所蔵遺品のうち約450点を、ART(絵画)、BOOK(本)、CAT(猫)、DISH(器)、FASHION(装い)、WORD(言葉)といった、アルファベット26文字になぞらえたキーワードで分類して展示するというユニークな方法がとられました。また、本人の肉声テープや『阿修羅のごとく』の構想メモなど新資料も展示されました。


鹿児島名産
昔のまま残っているのは、二軒おいて隣りの、どういう偶然なのか、うちと苗字が反対の田向さんというお宅と、坂の下にあって、これも鹿児島名物のボンタン飴と兵六餅を買いにいったお菓子屋だけであった。
『眠る盃』(鹿児島感傷旅行)より。
  
鹿児島市にあるセイカ食品(株)が製造・販売するボンタンアメ(大正15年製造開始)と兵六餅(昭和6年製造開始)は今も昔も変わらないクラシカルなデザインのパッケージと味でお馴染みの飴菓子。九州圏内では、親から子供、子供から孫へと今も語り継がれています。
ボンタアメと兵六餅(写真上)・池畑天文堂で
つぼ漬(写真下)・池畑天文堂で
つぼ漬けは、南九州産の大根を冬の寒風に40〜50日間吊干したものを独特の方法により漬け込んだ漬物で、気品のある芳香風味とポリポリとした歯ごたえ感が特徴的。壺(つぼ)に漬けるところからつぼ漬けといわれますが、指宿市山川地区の名産であるため山川漬けともいわれます。
一抱えもある桜島大根や、一口で頬張れる島みかんに驚いたり、キビナゴという縦縞の入った美しい小魚や壺漬けのおいしさに感動した。そして、どういうわけか我家は薩摩揚に夢中になった。
『父の詫び状』(薩摩揚)より
キビナゴの刺身(写真下)・自宅で
キビナゴは、インド洋と西太平洋の熱帯・亜熱帯域に広く分布する小魚で、日本では、鹿児島県、長崎県、高知県などの暖流に面した地域で漁獲され、刺身、煮付け、天ぷら、油炒めなどにして食べられます。骨ごと食べられるので、小さい割には可食部が多く、カルシウムが豊富です。刺身は一尾ずつ手開きで開き、ショウガ醤油や酢味噌で食べます。小魚で傷みが早いため、漁獲地以外に流通することは少ないといわれていますが、最近ではキビナゴの刺身が関西・関東へ空輸されているようです。わが家では、左写真のような風で食卓に上がります。
  
  
照国神社
照国神社の鳥居と城山、建物は城山観光ホテル(写真上)
照国神社は第二十八代藩主島津斉彬を祭る城山の麓のお社である。昭和十五年。小学校四年の私は、この境内で行われた紀元二千六百年の祝典祝典で、お遊戯をしている。(略中)大運動会が出来るほど広かった境内が、いやに狭くなっている。三分の二ほどが駐車場になっているのである。照国神社も、戦災で焼け、コンクリート造りの新しいたたずまいであった。
       〜『眠る盃』(鹿児島感傷旅行)より。
島津斉彬の銅像(写真下)
  
  
鹿児島市中央公民館
西郷隆盛銅像(写真下)
鹿児島中央公民館(写真上)
現在でも各種催し物、講演会など多方面にわたって市民に利用されている鹿児島市中央公民館は、1926年(大正15年)に起工し、1927年(昭和2年10月)に完成。当初『鹿児島市公会堂』として発足し、1970年(昭和48年)に鹿児島市中央公民館となりました。向田さんは、ここで催された日支事変における鹿児島出身者の合同市葬で、鹿児島市の全小学校児童代表として弔詞を読みました。
その頃からぼつぼつ烈しくなり始めた日支事変の英霊が帰った時など、学校を代表して、女だてらに公会堂で弔詞を読む、というようなこともあり、田島先生は苦々しく思っておられたのではないかと思う。
       
〜『父の詫び状』(薩摩揚)より
向田さんは、クラス全員の前で田島先生という理科の先生に殴られたことがありました。どう考えても蹴られる理由は判らなかったが、ただ東京から転校してきて、多少成績もよく、人にチヤホヤされたりだったので、田島先生は苦々しく思われていたのではないか、生れて初めて父以外の人間に殴られたという屈辱は残ったが、それでも田島先生のことは好きだったと向田さんは回想しています。
鹿児島市中央公民館横に建っている西郷隆盛銅像(写真左)は終始観光客が絶えない観光スポットです。中央公民館前に観光ボランティアが待機しています(写真上)。
     
     
夕暮れの桜島
サンロイヤルホテル12階から眺めた桜島/2009.11.23.16:33
桜島といえば、サンロイヤルホテルの窓から眺めた桜島の凄みは、何といったらよいか。陽が落ちるにつれて、黄金色から茶になり、茜色に変り、紫に移り、墨絵から黒のシルエットとなって夜の闇に溶けこんでゆく有様は、まさに七つの色に変るという定説通りであった。
                          
〜『眠る盃』(鹿児島感傷旅行)より。
桜島桟橋付近から/2009.11.23.17:04(写真下)
    
    
桜島フェリー
桜島桟橋を出港した桜島フェリー、後方は市街と城山(写真上)、そして潜水艦が!
変ったものは、城山頂上までの自動車道路。そして頂上の展望台の観光名所ぶり。桜島へ通う立派なカー・フェリーである。四十年前、うち中揃って桜島へ遊びにいったのはいいが、渡し船がひっくりかえりそうになって、母など、死ぬかと思った、と青い顔をしていたのが、嘘のようである。ほとんど揺れもせず、十五分置きに出る白い美しいフェリーで、アッという間に桜島へ着いてしまう。
〜『眠る盃』(鹿児島感傷旅行)より
かごしま水族館(写真上) ドルフィンポート(写真下)
通称『桜島桟橋』と呼ばれる桜島フェリーターミナル近隣くには、黒潮に洗われる鹿児島沿岸、鹿児島湾の海生生物をメインに展示している『いおワールドかごしま水族館』(写真上)が1997年に開館しました。また、鹿児島湾と桜島を望むウォーターフロントに2005年誕生した複合商業施設『ドルフィンポート』(写真右)は、総木造2階建の南国のバンガローを思わせる建物で、特産品の直売店や飲食店を中心に約20店舗が入居しています。そうした雰囲気の桜島フェリーターミナルから24時間運航で15分置きにフェリーが発着しています。
桜島港に着いた桜島フェリー(写真下)
    
    
【引用および参考】
・向田邦子著『父の詫び状』(文春文庫、2006年2月新装版、495円)
・向田邦子著『眠る盃』(講談社文庫、1982年6月第1版発行、467円)
 かごしま 向田邦子文学散歩(1)  向田邦子さんのこと  向田邦子さんと桜島 


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