♪秋の歌(チャイコフスキー)
Piano1001
えびの京町温泉郷 〜 山頭火を歩く(9)− 宮崎県
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上京しては熊本へ帰郷、帰郷しては上京を繰り返した後、熊本市内の離婚した妻サキノの古本屋『雅楽多』に寄宿したものの、『私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方はないのだ』、昭和5年(1930年)9月9日、48歳の山頭火は、過去の日記をすべて燃やし、行乞の旅に出ます。熊本から八代、日奈久、佐敷へ。そして、球磨川づたいを歩き、同年9月14日人吉に投宿。捨てても捨てても捨てきれないものが乱れ雲のやうに胸中を右往左往する悶々たる中で、ようやく『行乞記』を書き出す山頭火。『宿が落着いてゐるので(人吉に)滞在しようかとも思ふたが、金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくない』ので、人吉から汽車で吉松(鹿児島県湧水町)に向かい、9月17日、京町温泉(宮崎県えびの市)に投宿します。山頭火句碑などをえびの市に訪ねました。   (旅した日 2011年10月)
       
       
矢岳越え
”矢岳越え”の車窓から見るえびの市(写真は、矢岳駅 - Wikipediaより)  
人吉(熊本県人吉市)から吉松(鹿児島県湧水町)に至る肥薩線は、標高約537mの険しい峠を越えなければなりません。この”矢岳(やたけ)越え”と呼ばれる車窓は、『日本三大車窓』の一つに数えられています。その車窓から、四方を霧島連山などの山々に囲まれた盆地にえびの市の市街地が遠望できます(写真上)。
 
 大畑(おこば)駅の『ループ線とスイッチバック』(写真右上)、標高約537mの矢岳駅(写真右下) 
歩いて峠越えした6年前と違い、今度は脚気でとてもそんな元気はなかったので、汽車を使ったと行乞記にあります。人吉から吉松まで眺望が良く、汽車さえもあえぎあえぎ登ります。桔梗、藤、女郎花、萩など、いろんな山の秋草が咲きこぼれていました。
九月十七日 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上)
昭和5年(1930年)9月17日、一泊三〇銭、宿の印象は「上」

    種田山頭火
今にも降り出しさうな空模様である、宿が落着いてゐるので滞在しようかとも思ふたが、金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくないので、八時の汽車で吉松まで行く(六年前に加久藤越したことがあるが、こんどは脚気で、とてもそんな元気はない)、二時間ばかり行乞、二里歩いて京町、また二時間ばかり行乞、街はづれの此宿に泊る、豆腐屋で、おかみさんがとてもいゝ姑さんだ。.こゝには熱い温泉がある、ゆつくり浸つてから、焼酎醸造元の店頭に腰かけて一杯を味ふ(藷焼酎である、このあたり、焼酎のみでなく、すべてが宮崎よりも鹿児島に近い)。このあたりは山の町らしい、行乞してゐると、子供がついてくる、旧銅貨が多い、バツトや胡蝶が売り切れてゐない。人吉から吉松までも眺望はよかつた、汽車もあえぎ/\登る、桔梗、藤、女郎花、萩、いろんな山の秋草が咲きこぼれてゐる、惜しいことには歩いて観賞することが出来なかつた。
〜『行乞記(一)』(種田山頭火)より抜粋、以下も同じ 
矢岳(写真前方)を越えて来て吉松駅に入る『いさぶろう・しんぺい』、もちろん当時はSLでした。
当時はすでに、吉松〜小林(宮崎県小林市)間に『吉都(きっと)線』(上の写真の右手の線)が開業していましたから、京町まで汽車で行くこともできましたが、山頭火は、二時間ばかり行乞、二里(8km)歩いて京町、また二時間ばかり行乞して、街外れの宿に泊まりました。
     
京町温泉 
稲穂で黄金色に染まった田んぼに囲まれた京町温泉
京町(きょうまち)温泉は、鹿児島県と県境を接する宮崎県えびの市にある温泉。県を代表する温泉で京町温泉郷とも呼ばれます。霧島連山に囲まれていて景観に恵まれ、周囲を田んぼに囲まれた昔ながらの住宅街にまぎれるように、小・中規模の温泉旅館が点在しています。歓楽色は一切なく、ひっそりとした保養向けの温泉郷。
 
京町温泉唯一の商店街。歓楽色のないひっそりした通りです。
 
なんぼ田舎でも山の中でも、自動車が通る、ラヂオがしやべる、新聞がある、はやり唄が聞える。・・・・・
宮崎県では旅人の届出書に、旅行の目的を書かせる、なくもがなと思ふが、私は「行脚」と書いた、いつぞや、それについて巡査に質問されたことがあつたが。
今日出来た句の中から、――

 
    はてもない旅の汗くさいこと
   ・このいたゞきに来て萩の花ざかり
    山の水はあふれ/\て
   ・旅のすゝきのいつ穂にでたか
   ・投げ出した足へ蜻蛉とまらうとする
    ありがたや熱い湯のあふるゝにまかせ

 
此地は県政上は宮崎に属してゐるが、地理的には鹿児島に近い、言葉の解り難いのには閉口する。
藷焼酎をひつかけたので、だいぶあぶなかつたが、やつと行き留めた、夜はぐつすり寝た、おかげで数日来の睡眠不足を取りかへした、南無観世音菩薩。
老人福祉センター(えびの市向江) 
 このいたゞきに来て萩の花ざかり  山頭火
 
温泉広場(えびの市京町) 
 ありがたや熱い湯のあふるるにまかせ  山頭火
 
図書館資料館・裏庭(えびの市大明司)  
旅のすゝきのいつ穂にでたか  山頭火
 
 飯野 
吉都線”えびの飯野駅”を都城方面に発車したばかりのディーゼルカー 
九月十八日 雨、飯野村、中島屋(三五・中)
昭和5年(1930年)9月18日、一泊三十五銭、宿の印象は「中」 
濡れてこゝまで来た、午後はドシヤ降りで休む、それでも加久藤を行乞したので、今日の入費だけはいたゞいた。此宿は二階がなく相客も多く、子供が騒ぎ立てるのでかなりうるさくてきたない、それにしても昨日の宿はほんとうによかつた、何もかも一切がよかつた、上の上だつた。
  
    ・ 濡れてすゞしくはだしで歩く
    ・ けふも旅のどこやらで虫がなく
     ひとり住んで蔦を這はせる
     身に触れて萩のこぼるゝよ

  
朝湯はうれしかつた、早く起きて熱い中へ飛び込む、ざあつと溢れる、こん/\と流れてくる、生きてゐることの楽しさ、旅のありがたさを感じる、私のよろこびは湯といつしよにこぼれるのである。けふは今にも噛みつくかと思ふほど大きな犬に吠えられた、それでも態度や音声のかはらなかつたのは自分ながらうれしかつた、その家の人々も感心してくれたらしい、犬もとう/\頭を垂れてしまつた。同宿の人が語る『酒は肥える、焼酎は痩せる』彼も亦アル中患者だ、アルコールで自分をカモフラージしなくては生きてゆけない不幸な人間だ。
 
市立八幡丘公園(えびの市飯野)
ぬれてすずしくはだしであるく  山頭火
 
鮮人か内地人か解らないほど彼は旅なれてゐた、たゞ争はれないのは言葉のアクセントだつた。同宿の人は又語る『どうせみんな一癖ある人間だから世間師になつてゐるのだ』私は思ふ『世間師は落伍者だ、強気の弱者だ』流浪人にとつては食べることが唯だ一つの楽しみとなるらしい、彼等がいかに勇敢に専念に食べてゐるか、その様子を見てゐると、人間は生きるために食ふのぢやなくて食ふために生きてゐるのだとしか思へない、実際は人間といふものは生きることゝ、食ふことゝは同一のことになつてしまうまであらうが。とにかく私は生きることに労れて来た。
※ 行乞記(種田山頭火)は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)の『行乞記(一)』
(底本等のデータは下記の通り)から抜粋して記載してあります。
底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1989(平成元)年3月20日第4刷
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
   
      
 球磨川づたひ、 人吉・あさぎり町 〜 山頭火を歩く
   
    
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