♪波浮の港
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旅行記 ・伊豆の風景 − 静岡県  2009.03.22〜23
 天城越え
伊豆の踊子像(浄蓮の滝)
浄蓮の滝から河津七滝までの16.2kmの遊歩道は、伊豆の踊子の足跡をたどる『踊子歩道』と呼ばれ、ハイキングなどに利用されています。踊り子は十七くらいに見えた。私には分からない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。〜『伊豆の踊子』[1]より
本格的な山葵(わさび)田(写真下)を初めて見ました。帰って来てからお便りを頂いて知ったのですが、山葵は白い花を咲かすのだそうです。写真をアップしてみたら、なるほど咲いていました。三杯酢で食べれば美味しいそうです。
  
   わさび田に雨降る旅や天城越え  ワシモ

  
天城わさび園(丸川鈴木商店)
 浄蓮の滝(じょうれんのたき)と『天城越え』記念碑
浄蓮の滝は、幅7m、高さ25mを誇る、日本の滝百選の一つ。かつて滝の付近に浄蓮寺という寺院があったことから名づけられました。昭和61年(1986年)にレコード大賞を受賞した石川さゆりさんの大ヒット曲『天城越え』(作詞・吉岡治/作曲・弦哲也)で歌われています。
天城山隧道(旧天城トンネル)〔国の重要文化財〕
下田街道の改良工事の一環として、明示34年(1901年)に貫通、同年37年に完成。全長445.5m、幅員4.1m。トンネル両端の坑門および内部全体が切石積で造られ、川端康成の小説『伊豆の踊子』をはじめ、多くの文学作品に登場するトンネルとして広く親しまれています。平成13年(2001年)、道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定。暗いトンネルに入ると、冷たい雫(しずく)がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。〜『伊豆の踊子』より
伊豆急下田駅前の風景
伊東駅(静岡県伊東市)から伊豆半島の東海岸に沿って走る伊豆急行線の終着駅が伊豆急下田駅。黒船塗装の改札口(写真右)がユニークです。改札口は
伊豆下田
黒船塗装の改札口
下田は江戸時代には、江戸・大坂間の風待ち湊(みなと)として栄え、『伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が軽くなる』と下田節に唄われています。東海道の三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点で、僧行基によって発見されたといわれる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と呼ばれています[2]下田の港は、伊豆相模の温泉場なぞを流して歩く旅芸人が、旅の空での故郷として懐かしがるような空気の漂った町なのである。〜『伊豆の踊子』より
伊豆急下田駅の改札口の前に居並ぶ旅館、ホテルの出迎えの方たち。これが下田なんだ!と旅情を感じて思わずシャッターを押しました。自分たちが泊まるわけではなかったけれど、何だか嬉しくなりました。(※アップで写してすみません。支障があったらメール下さい。)
サスケハナ(USS Susquehanna)は、アメリカ合衆国海軍の巡洋艦。黒船来航時、旗艦としてマシュー・ペリー提督が搭乗していたことで有名。船名は、主にペンシルベニア州を流れるサスケハナ川から取られました。
下田では、まどか海浜遊公園でちょうど『風の花祭り』が開催されていて、たくさんの風車が公園を飾っていました。
 
     旅果てて下田港の風車  ワシモ
1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館とともに開港。吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリスと『唐人お吉』など、数々のエピソードが生まれました[2]
ペリーの黒船を再現した遊覧船サスケハナ(SUSQUEHANNA)号。日本開国の舞台となった下田港の街並、寝姿山、ペリー艦隊投錨の地、南伊豆の遠景など、下田港を一巡りするクルーズが楽しめます。一周 約20分、大人1,000円 小人 500円。
城ヶ崎
城ヶ崎海岸は、現在は休火山となっている伊豆高原の大室山の火山活動により溶岩が海岸まで溶岩が流出し、それが海の侵食作用で削られてできたリアス式海岸です。
海の吊橋
海岸線には絶壁が連なり、壮観な眺めを呈しています。門脇灯台(写真左)を中心に全長9kmのハイキングコースがあり、門脇崎の海の吊り橋(写真上、下)は長さ48m、高さ23mでスリルが楽しめます。
城ヶ崎・門脇灯台
旅の記念に〜撮るひと(妻)と写るひと(長男嫁)
モニュメント『あい・讃歌』(伊東マリンタウン)
国道135号線沿いにあるカラフルな建物が『道の駅・伊東マリンタウン』。おみやげ、レストランなど21店舗と天然温泉、遊覧船などが楽しめます。伊豆旅行の休憩スポットとして賑わっていました。ランチは、新鮮な海の幸を食材にした和食の他、洋食メニューも。
伊東・網代
伊豆半島の相模灘に面した東海岸に位置する伊東は伊豆半島の東の玄関口、海岸沿いから中部は別荘地として開発された場所が多く、大室山の麓にある伊豆高原、ゴルフ場で有名な川奈ホテルなどが知られています。
道の駅・伊東マリンタウン
東風吹くや旅の土産の金目干し   ワシモ
網代干物街道
道の駅・伊東マリンタウンで
熱海市網代地区は、江戸時代、『京、大阪に江戸、網代』といわれ、古くからアジやイカなどが豊富に水揚げされる天然の良港として栄えてきました。現在でも漁港に面した国道は、何軒もの干物屋が軒を連ねていて、『干物街道』などと呼ばれています。海はいつの間に暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。〜『伊豆の踊子』より
網代魚市場からの眺め
【参考】
[1]川端康成著『伊豆の踊子』(新潮文庫、平成20年5月139刷)より引用。
[2]下田市:フリー百科事典『ウィキペディア』
編集後記
このページのBGMに三浦洸一さん(1928年〜)の昭和32年(1957年)ヒット曲『踊子』を使いたかったのですが、著作権の問題で使用できません。そこで使ったのが、野口雨情・作詞/中山晋平・作曲の『波浮の港』(1923年)。少し暗い曲ですが興味があったらクリックして聴いてみて下さい。波浮(はぶ)の港は、伊豆大島の南東部にある港町で、宿泊客や漁業関係者や観光客で賑わっていたそうです。その波浮の港に、お座敷がかかると旅館などで可愛らしい踊りを披露する民(たみ)という娘がいました。川端康成の『伊豆の踊子』の「薫」のモデルだといわれます。大正7年11月、川端康成は旧天城トンネルを越える途中でその旅芸人一座と道連れになります。小説の中でも、伊豆大島に遊びに来てねと主人公が誘われる場面があります。民が踊っていたという旧港屋旅館は、今も波浮の港に現存するそうです。なお、三浦洸一さんの『踊子』は、YouTubeで聴くことができます。
 伊豆の踊子    修善寺温泉
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