コラム  ・伊豆の踊子〜この世との和解ということ   
− 伊豆の踊子〜この世との和解ということ −
『二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると激しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。』 修善寺から湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れになった、孤児根性に悩む一高生の淡い恋と旅情を描いた『伊豆の踊子』は、川端康成のあまりにも有名な短編ですね。
 
作者が19歳のときの伊豆旅行での実体験をもとにした短編です。川端康成は、2歳で父、3歳で母、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去し、幼少期に身内のほとんどを失い孤児となってしまいます。孤児根性に悩む一高生とは、作者自身のことに他なりません。
 
今年(2009年)3月彼岸の連休を利用した伊豆への二泊三日の旅は、4月初めに還暦を迎える本ホームページ管理者の還暦前祝の旅でもありました。愛知県豊田市と神奈川県藤沢市で働いている二人の息子たちも連れ合いを連れて駆けつけてくれました。初日は伊豆長岡に泊まり、二日目は修善寺から国道 414号線で下田へ。生憎小雨に降られ、踊子コースの散策・取材は叶いませんでしたが、それでも天城越えの旅情を楽しむことができました。
 
二日目は、東伊豆町の片瀬にこじんまりした宿をとりました。伊勢海老の刺身、アワビの踊焼そして金目鯛姿煮のほか、海の幸がとても美味しいでした。その翌日の最終日は、伊豆高原、城ヶ崎、伊東から熱海、新幹線で新横浜へ。旅の帰り、横浜地下街の丸善で買った『伊豆の踊子』(新潮文庫)を飛行機の中で読み返してみたのです。
 
読み返したというのは正確ではないかも知れません。というのは、内藤洋子さんや山口百恵さんなどの主役で映画化された映画のグラビアの印象ははっきり残っているものの、原作本を読んだ記憶も、物語のあらすじも曖昧なのです。読んでみて新鮮だったのは、宮本順子氏のカバー装画もさることながら、巻末の、竹西寛子氏(1929年〜、小説家・日本芸術院会員)の解説で、『この世との和解』という言葉と出会ったことでした。
 
心惹かれ、想いをつのらせた清純無垢な踊子との別れ。それは淋しく、虚しくあったが、しかし、孤児根性で歪んだ主人公の心は温かく解きほぐされていきます。
 
「何か御不幸でもおありになったのですか」
「いいえ、今人に分かれて来たんです」
私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。
 
自力を超えるものとの格闘に真摯な若者だけが経験する人生初期のこの世との和解が、この短編のかなめとなっている。与(くみ)し難いこの世との最初の和解の契機は、それこそ人さまざまであろう。十四歳の可憐な踊り子との束の間の縁を、そのような契機となし得るか否かも心々である。と竹西氏の解説にあります。
 
なるほど、『この世との和解』。人生の初期、そのような観点からこの世に向き合う切り口もあったんだ、と目から鱗でした。この自分には、果たしてこの世との和解というものがあったんだろうか? 還暦のこの歳になって人生初期の頃のことに思いを馳せてみても詮無いことに違いありませんが、若い頃読んだ名作をこの歳になって読み直してみるのも読書の一つの楽しみ方かも知れません。
 
〔用語〕
和解【わかい】=争いをやめ、仲直りすること。
真摯【しんし】=まじめでひたむきなこと。事を一心に行うさま。
心々【こころごころ】=考え・思いが人さまざまであるさま。思い思い。
 

2009.04.29  
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