レポート  ・向田邦子さんのこと   
− 向田邦子さんのこと −
向田さんは、かなり凝り性だったようです。鹿児島市にあるかごしま近代文学館には、鹿児島にゆかりの作家を紹介するコーナーがあって、妹の和子さんの話しをビデオで聞くことができます。
 
姉の邦子は、凝り性というか、例えばボーリングをしたいと思い立つと、居ても立っても居られず、マイボールを買い、専門書を読み漁り、夢中になるが、これ以上上達しないと見極めるとスパッと止めてしまう。別に嫌いになったというわけではないのですが、金輪際やらない。
 
また、せっかちだったようです。向田さん本人も、エッセイ集『父の詫び状』の中で、飴玉をおしまいまでゆっくりなめることの出来ない性分であった、途中でガリガリ噛んでしまうのであると書いています。
 
変り玉などは、しゃぶりながら、どこでどう模様が変わるのか気になってたまらず、鏡を見ながらなめ、推理小説の読み方も我慢なしで、途中まで読み進むと、自分の推理が当たっているかどうかが気になってついラストのページを読んでしまう。
 
なるほど、わかるわかるその気持ちと私にも多少覚えがあります。そこで、向田さんの血液型をネットで検索してみると、案の定B型でした。
 
凝るといえば、水羊羹が好きだったことでも知られる向田さんが、いかに水羊羹にこだわりを持っていたかという話しがエッセイ集『眠る盃』に収録の『水羊羹』に、素敵な文章で書かれています。子供の頃の、飴玉を途中でガリガリ噛んでしまうのと違って、こちらは大人のおしゃれな水羊羹の食べ方の話しです。
 
水羊羹の切口と角のあり方、桜の葉っぱの座ぶとんを敷いている効用、水羊羹の色、固さ、水羊羹はふたつ食べるものではありません。新茶の入れ方、取皿のこと、どんな光の下で食べるか、ムード・ミュージックは。水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、その短い命がいいのです。
 
反面、どこか抜けたところのあるのがB型のご愛嬌。♪わらべは見たり〜、野中の薔薇を『夜中の薔薇』と思い込んで覚え、荒城の月の、♪めぐる盃かげさして〜の一節を『眠る盃』と覚え、民謡田原坂の『人馬は濡れる』も勘違いして覚えてしまいます。面白いことに、『夜中の薔薇』、『眠る盃』は、それぞれエッセイのタイトルになっています。
 
1975年、46歳のときにに乳癌で手術を受け、それをきっかけに随筆やエッセイを書き始めます。隔月連載で短いものを書いてみませんかと執筆依頼を受け、誰かに宛てるともつかない、のんきな遺言状を書いておこうかなという気持ちで子供の頃を思い出し思い出し二年半連載を書き続けます。それを一冊にまとめ、1978年11月に文藝春秋から発行されたのが、第一作エッセイ集『父の詫び状』。
 
それから3年足らずの後の1981年8月に、取材旅行中の台湾で不慮の飛行機事故により51歳で急逝。小説の執筆も始め、前年の7月に直木賞を受賞、さらなる活躍を期待された矢先の急逝でした。
 
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 『父の詫び状』を読むと、3年後の不慮の飛行機事故と因縁めいているようでドキッとさせられる記述の部分があります。
 
「生れて初めて喪服を作った。あまり大きな声でいいたくないのだが、私は48歳である。」で始まる、『隣りの神様』というエッセイがあります。向田さんは、例によって、早くその喪服を着てみたくてウズウズです。
 
しかし、葬儀の時に、遺族の、それも、亡くなった人に近い女性がいま美容院から帰りましたという風に、髪をセットして居並んでいる姿に、ちょっとしたひっかかりを持っていた向田さんは、”人のことはいえない”と気づき、新内を聴く小さな集まりにその喪服を着て顔を出し、自分の気持ちにケリをつけます。
 
そして、向田さんは、これを着てゆく一番はじめの不祝儀は、天寿を全うされた方か、あまり縁の深くない儀礼的な葬儀であって欲しいと思いながら、新しい喪服を箪笥に仕舞いますが、その年の暮れも押し迫った12月、同業の先輩である津瀬宏さん(あの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の筋書などを手がけた方)が不慮の事故によって50歳の若さで急逝したという知らせを受けます。
 
「まさか、頼もしい兄貴分と思っていた津瀬さんの葬儀に着てゆく羽目になるとは思わなかった。申しわけないような、やり切れない気持ちだった。」
 
『お辞儀』というエッセイでは、向田さんは、妹さんをお供につけてお母さんに五泊六日の香港旅行に行ってもらいます。お母さんの乗っている飛行機が離陸しようとすると、邦子さんは、急に胸がしめつけられるような気持ちになります。「どうか落ちないで下さい。どうしても落ちるのだったら帰りにしてください」と祈りたい気持ちになります。
 
エッセイ『兎と亀』では、ノンフィクション作家の澤地久枝さんと二人で、ペルーの首都リマからアマゾン川上流のイキトスという町に飛行機で観光に出かけるのですが、その直前にアンデス山脈で飛行機の墜落事故があったばかりです。
 
飛行機の中で、澤地さんはバッグの中からゴソゴソとダイヤの指輪を取り出してはめます。そして、万一ジャングルの中に墜落しても、原住民にこれを進呈すれば、何とかなるわよとささやきます。あまりのことに、向田さんは、飛行機も揺らぐほど大笑いに笑ってしまいます。「彼女は帰りの飛行機でもこのダイヤのお守りを指にはめ、ご利益のおかげだろう、往きも帰りも飛行機は無事であった。」
 
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好奇心旺盛でお転婆で、おだてに弱くせっかちで、おいしい物好き。そして、人には見せない地道な努力家。美人で、才女で、おしゃれなのに、自分の悪癖や失敗談もあけすけに書いてはばからない、そんな向田さんのつづった随筆や小説、シナリオ集は今なお人々に愛され続けています。
 
【参考にしたエッセイ集】
・向田邦子著『父の詫び状』(文春文庫、2006年2月新装版)
・向田邦子著『眠る盃』(講談社文庫、1982年6月第1版発行)
・向田邦子著『男(お)どき女(め)どき』(新潮文庫、昭和60年5月第発行)
 

【備考】
下記のページがあります。
■向田邦子さんと桜島
   → http://washimo-web.jp/Report/Mag-MKuniko02.htm
■旅行記 ・かごしま 向田邦子文学散歩(1) − 鹿児島
   → http://washimo-web.jp/Trip/Mkuniko/Mkuniko.htm
■旅行記 ・かごしま 向田邦子文学散歩(2) − 鹿児島
   → http://washimo-web.jp/Trip/Mkuniko02/Mkuniko02.htm
 

2008.05.28
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