♪シンフォニーア第4番(J.S.BACH)
うっちいの音楽箱!
美しきカトリック教会 − 平戸を訪ねて(2)
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長崎県平戸市は、平戸島や生月島及び九州本土北部の沿岸部に位置する田平町と周辺の多数の島々で構成された市です。豊かな自然環境に恵まれ、農水産業を主幹産業としていますが、戦国時代から江戸時代初期にかけては、オランダをはじめヨーロッパの国々との交流が盛んに行われ、『西の都フィランド(Firando)』と呼ばれる貿易港として繁栄した町でした。今も市内のあちこちに当時をしのぶ史跡が残されていて、異国情緒を漂わせています。また平戸は、平戸藩の城下町であり、平戸城や松浦史料博物館などの重厚な史跡を見ることができるとともに、美しい教会が存在するキリシタン文化の町でもあります。平戸の美しきカトリック教会を訪ねました。          (旅した日 2007年04月)



聖フランシスコ・ザビエル記念教会(カトリック平戸教会)
  聖フランシスコ・ザビエル記念教会
      (カトリック平戸教会)

イエスズ会の宣教師フランシスコ・ザビエルは、1549年鹿児島に上陸しキリスト教を伝えましたが、翌1550年にポルトガル船が平戸に入港したことを知ると、急遽鹿児島での布教を止めて、平戸に赴き、布教活動の拠点を平戸に移しました。

平戸港を一望する小高い勝尾岳の中腹にそびえるモスグリーンの瀟洒な尖塔のこの教会は、昭和6年(1931)に『カトリック平戸教会』として建設された教会で、今も平戸のカトリック教徒の信仰の中心となっています。

昭和46年(1971年)、ザビエルの平戸来訪を記念して教会脇に『ザビエル記念像』が建立されたことから、現在は『聖フランシスコ・ザビエル記念教会』と呼ばれています。

DATA
■所在地  長崎県平戸市鏡川町259-1
        TEL 0950-22-2442
■見学無料、休業日なし、内部撮影可
■駐車場  あり

勝尾岳の中腹に隣接して佇む正宗寺、光明寺、瑞雲寺の重厚な瓦屋根と聖フランシスコ・ザビエル記念教会の尖塔とが合い連って平戸ならではの光景をつくり出しているのが印象的でした。


宝亀(ほうき)教会 世界遺産暫定リスト登録
      カトリック宝亀教会

宝亀の小さな農村集落(写真下)の最奥地の山あいにひっそりと佇む木造の美しい教会。白い漆喰とレンガ色のコントラストが美しく、情緒的な雰囲気を醸し出しています。入口に記念碑がありました。

  宝亀教会献堂百周年記念碑

今から百有余年前、宝亀は京崎、雨蘇の仮教会で御ミサが捧げられていたが、司牧者マタラ師の私財投資と信徒たちの献金及び労働奉仕によって教会建設を成し遂げ、1898年(明治31年)3月19日、現在の宝亀教会が献堂された。宝亀教会では、現在の教会献堂百周年に当り、先人の偉大な信仰をたたえ、この碑を建てる。 1998年5月31日
      百周年実行委員会

両側面にベラシダが張り出しているのが特徴で、レンガ造りの外壁、大頭アーチ式の円形窓、こうもり天井など、建築学上の多くの特徴をもつ聖堂といわれます。眼下に宝亀漁港が見えました。

DATA
■所在地  平戸市宝亀町1170
        TEL 0950-28-0324
■見学無料、休業日なし、内部撮影可
■駐車場  あり

信徒は海岸部よりも山手に多く、青年会の活動が活発で、教会諸行事の実施に貢献しているそうです。集落に密着した、集落と共にある教会だなと感じました。


紐差(ひもさし)教会
     カトリック紐差(ひもさし)教会

紐差教会堂は、宝亀集落から国道383号をさらに4km南下した、平戸島のほぼ中央部に位置する紐差集落にある壮大な教会堂です。長崎の旧浦上天主堂が原爆で破壊された後の一時期は、日本最大規模の教会堂といわれました。

明治13年(1880年)、紐差小教区が設立され、明治18年(1858年)に、現在地に初代の聖堂が竣工しました。現在の聖堂は、昭和4年(1929年)に改築されたもので、外部はロマネスク様式で、内部にはアーチと美しいステンドグラスがはめ込まれています。

キリスト教の空間に日本の仏教的な空間が入り混じり、変化のある雰囲気を見せています。

DATA
■所在地  平戸市紐差町1039
        TEL 0950-28-0168
■見学無料、休業日なし、内部撮影可
■駐車場  あり



平戸島に住むカトリック教徒の半数がこの教会に属しているという、平戸島最大の信徒をかかえる教会だそうです。設計は、『教会なら鉄川』といわれた鉄川与助(てつかわよすけ)によります。


田平天主堂(カトリック田平教会) 国指定重要文化財
世界遺産暫定リスト登録
  田平天主堂(カトリック田平教会)

平戸瀬戸を望む丘のうえに建つ赤レンガの教会。鉄川与助の設計・施工によるもの。

煉瓦造りおよび木造で、正面中央に八角形ドームを頂く鐘塔を付けた重層屋根構造の天主堂です。内部は三廊式で、身廊部の立面構造は、アーケード、トリフォリウム(装飾帯)、クリアストリートー(高窓)からある本格的な三層構成となっています。天井は木製のリブ・ヴォールト天井。外壁の煉瓦積みも多彩な手法を駆使して装飾性の高いものです。

明治初め禁教令の廃止後も、迫害にさらされながら信仰を守り続けたカトリック信者たちは、新天地を求め、五島などから本土へ移住してきました。明治19年、田平にも黒島や出津から最初の移住者が来ました。やがて信者は1000人近くに増え、明治33年頃には仮聖堂が立てられていたようです。

その後本格的な聖堂建設の機運が高まり、信徒は苦しい生活の中から積み立てをし、資金を集めました。
建設に当っては浜から約2kmの急坂を、レンガや砂の荷揚げなど、子どもから大人まで総出で作業しました。
1915年(大正4年)整地作業にかかり、1917年10月竣工、1918年5月14日に献堂式が行なわれました。初代の移住者が入ってから32年後のことでした。

鉄川与助の煉瓦造教会堂作品の中では最後の作品であること、細部の意匠も優れていることから2003年(平成15年)12月25日、天主堂および創建字の司祭館部分、貝殻焼場、門柱や石垣、石段など、周辺を含めて国の重要文化財に指定されました。
〜教育委員会の案内板から転載〜

DATA
■所在地  平戸市田平町小手田免19
        TEL 0950-57-0254
■所  有  カトリック長崎大司教区
■管理者  カトリック田平教会
■駐車場  あり
■見学無料、休業日なし
献堂80周年を迎えた聖堂はイタリア製のステンドグラスが取り付けられ、その色鮮やかな美しさは絵画を見るような素晴らしさでした。


旅行記  ・オランダ商館時代の面影 − 平戸を訪ねて(1)
レポート ・平戸はなぜオランダ商館?

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