レポート  ・灯台鬼   
− 灯台鬼 −
灯台鬼(とうだいき)、あるいは燈台鬼は、文字通り頭に燭台を乗せられてたたずむ『人間燭台』のことですが、皆さんはご存知だったでしょうか。私は、先月(2009年5月)、鹿児島県三島村の硫黄島(いおうじま)を訪れて初めて知りました。
 
硫黄島に徳躰神社(とくたい じんじゃ)という神社があります。神社といっても、小さな石祠が置いてあるだけの神社で、祭神は、初期の遣唐使として唐(中国)に渡った軽野大臣(かるのおとど)という人だといわれます。唐に渡った大臣は、唐の皇帝の怒りにふれて毒薬を飲まされ、言葉のいえない灯台鬼にされてしまったのです。
 
後年、息子の春衡も、行方不明になった父の消息を探すため、遣唐使となって中国へ渡りました。中国のとある場所での祝宴のとき、頭に大きなロウソクを載せる台をしつらえ、体中にびっしり入れ墨をほどこされた灯台鬼が、春衡に歩み寄ってきます。
 
ここで、江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕(とりやま せきえん)によって、1780年(安永10年)に刊行された妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に、この伝説の灯台鬼の挿絵があるので見てみましょう。
 
 ・灯台鬼の挿絵(鳥山石燕)を見る
        
さて、春衡に歩み寄ってきた灯台鬼は、目に一杯涙をためながら、こっそり我が指を噛んで傷つけ、その血で床に、『燈し火の影は恥かしき身なれども 子を思う やみの悲しかりけり』と書いたのです。この歌を読んだ春衡は、ハッと驚き、これこそ帰らぬ父の姿よと思い、無理にお願いをしてその灯台鬼となっている父をもらい受け、日本を目指して帰国の途についたのでした。
 
しかし、途中船は嵐にあい、硫黄島の坂元というところに漂着しました。村里に出て弱った父を看護したいと思い、現在徳躰神社があるところまで連れてきましたが、衰弱のあまり、大臣は息絶えたのでそこに葬り、その霊を徳躰神社として祭り、石祠を建てたと伝えられています。
 
南條範夫(1908〜 2004年)は、この伝説をもとに小説『燈台鬼』(1956年直木賞)を著しました。小説では、主人公の灯台鬼(軽野大臣)とその息子の春衡が、実在の遣唐使の小野石根・小野道麻呂父子に置き換えられています。
 
              ***
 
唐の時代、都・長安において、日本の遣唐使・小野石根が『この宴席において日本の席次が新羅(しらぎ)より下に置かれるとは承服しがたい』と叫び、この言葉に新羅の使者が大いに反発するという事件が起きました。
 
面倒と見た唐側は日本の使節の謁見を早め、すぐに都から去るようにしました。帰国を控えたある日、石根は、高階遠成とともに長安の場外を馬で散策していると、謎の男たちに襲われます。遠成を逃し、一人でその集団に立ち向かった石根でしたが、暴漢たちによって傍らの溝に投げ捨てられ、気絶して行方不明となりました。
 
遣唐使の帰国後、石根はその帰路で海難事故のため死亡したと伝えられました。そして3年後、嘆き悲しむ石根の妻のもとに帰国した遠成が訪れ、『実は、石根は長安で行方不明となっており、彼の名誉のために水死したことになっていた』と告げます。
 
それを横で聞いていた9歳の息子の道麻呂は、『ならば自分が大きくなったら遣唐使となって父を探しに唐へ行く』と幼いながらも母に毅然と申し出るのでした。そして、二十数年の時が過ぎた延暦23年7月、藤原葛野麿を大使として出発する遣唐使船第二船の中に道麻呂と遠成の姿がありました。
 
長安に着いた2人はあらゆる手を使って石根の行方を捜したものの、手がかりは全くつかめず、やがて帰国の頃となりました。ついに帰国の時となり、遣唐使一行を送別する宴が催されました。その宴の席で道麻呂は、部屋の隅に置かれた大きな3つの燭台のうち、1つがわずかに動いたことに気づきました。
 
その後、奇妙なことに、一人の役人がその燭台を鞭(むち)で打擲し始めたので呆気に取られていると、横にいた書記が、『あれは燈台鬼という人間の燭台で、体を動かしたために鞭で打たれているのです』と教えてくれました。
 
よく見ると、その燈台鬼は、60歳ほどの老いた男でした。その男は道麻呂に近づき、道麻呂の顔を眺めると突如奇声を発し、自らの唇を食い破り、したたり落ちる血を足の指でなぞり、『石根』の2文字を書いたのです。
 
あの日、新羅人の暴漢たちに襲われ気絶した石根は、偶然通りかかった雑戯師に拾われ、声と十指を奪われ、燈台鬼へとその体を変えられ売り払われのです。ある夜、主人のもとで開かれた宴で、懐かしい祖国の歌が聞こえてきました。
 
『この客は、日本の遣唐使なのだ。助かる機会は今夜の他はない』と思わず体を動かしてしまいました。だが、『鬼となったこの醜い姿をどうして故郷の人に見せられよう?』と残った最後の自尊心が彼を押さえつけたのですが、しかし彼の前に立った人物に妻の面影をはっきりと感じ、自分の息子だと確信した石根は、全身に残っているあらゆる力を注いで足元の床に自分の名前を記したのでした。
 
【参考にした資料・サイト】
(1)硫黄島の徳躰神社にまつわる灯台鬼の伝説については、徳躰神社現地の案内板(三島村教育委員会)とフリー百科事典ウィキペディアの『灯台鬼』のページを参考にして書きました。
(2)小説『燈台鬼』のあらすじについては、フリー百科事典ウィキペディアの『燈台鬼(南條範夫)』のページを転載・一部編集しました。
 
【備考】
徳躰神社(とくたい じんじゃ)については、下記の旅行記があります。■旅行記 ・硫黄島 〜 薪能 俊寛 − 鹿児島県三島村
 

2009.06.17 
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