レポート | ・南洲墓地の庄内柿 |
− 南洲墓地の庄内柿 −
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石段を上がり切った南洲墓地(南洲神社)の入口の鳥居を潜った左手に柿の木が植わっています。『庄内柿』という説明板に、『山形県鶴岡市と鹿児島市が兄弟都市盟約を締結した、昭和44年11月7日に鶴岡市から寄贈されました。』とあります。南洲神社のお休み処の店先に柿の実が置いてあって、黒猫が番をしてました。 南洲翁(西郷隆盛)の教えを『南洲翁遺訓』という一冊の本にまとめて全国に広め歩いたのは、薩摩の人たちではなく、旧庄内藩(今でいう山形県鶴岡市、酒田市)の人たちでした。 江戸薩摩藩邸を焼き討ちにし、戊辰戦争でも新政府軍に執拗に抵抗した庄内藩の藩主及び藩士らは、戦後厳重な処罰が下るものと覚悟していました。しかし、西郷隆盛のとった処置は、温情ある極めて寛大ものでした。 西郷の大徳に感じ入った旧庄内藩の人たちは、西郷を訪ね、教えを請うようになりました。山形県酒田市には、荘内南洲会によって創建され運営されている『南洲神社』があります。
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2016.09.21 | ||||
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