旅行記  ・金子みすゞを訪ねて(3) − 下関   
金子みすゞを訪ねて(1) 金子みすゞを訪ねて(2) 金子みすゞを訪ねて(3)
 金子みすゞが生まれ故郷の長門市仙崎から母の再婚先である下関市の上山文英堂の西之端町商品館支店で働くようになったのは、大正12年(1923年)、みすゞ20歳のときでした。下に掲載の顕彰碑の肖像写真はこの頃のものです。上山文英堂は、旧西南部町に本店があり、旧大連、旅順、営口、青島に支店も出した屈指の書店だったそうです。みすゞは、ただ一人の店番として働くようになりました。店番をしながら、みすゞは、雑誌「童話」に童謡詩を投稿し始め、西条八十の絶賛を受け、その天分を発揮しました。童謡を書き始めてわずか3年目の大正15年(1926年)7月には、北原白秋、西條八十、野口雨情、三木露風、竹久夢二、泉鏡花、若山牧水など錚々(そうそう)たる面々が顔を連ねる「童謡詩人会」の会員に推挙され、哀歓の詩は益々高い評価を受けます。下関にある金子みすゞ由来の場所を訪れました。                 (旅した日 2003年2月)

旧下関英国領事館 
 明治39年(1906年)に完成した旧英国領事館は、風格のある赤煉瓦造りが特徴です。現在は、建物の内部が公開され、主に市民の方に作品を展示して頂く、市民ギャラリーとして使われています。旧英国領事館横に隣接したコーヒーハウス『下関異人館』では、美味しいコーヒーが味わえます。旧下関英国領事館であった建物も、格調高く気品に満ち溢れています。門をくぐれば思わず明治時代にタイムトリップ。CoffeeHouse『下関異人館』(写真左)。旧下関英国領事館(写真中)。領事館の内部(写真右)                   

文学碑              『金子みすゞ童謡創作の地』の説明板  (唐戸振興対策協議会/東部の文化財を見直す会)
旧英国領事館の隣の唐戸サンリブ横に、下関を詠んだ数少ない作品の一つ「日の光」の詩を刻んだ文学碑が建てられています。 西之端バス停前の現在広島総合銀行のある場所が、上山文英堂の西之端町商品館支店のあったところです。この場所で童謡を書きました。広島総合銀行の入口付近の側壁に、『金子みすゞ童謡創作の地』の説明板が建てられています。

金子みすゞ顕彰碑
金子みすゞと上山文英堂書店
明治36年(1903)、長門市仙崎に生まれる。
本名 金子テル。
  
 大正12年(1923)、母の再婚先である下関市西南部町の上山文英堂書店に移り住み、商品館(西之端町)にあった同支店で働きながら、「金子みすゞ」のペンネームで優しさあふれる童謡を創作し、雑誌に投稿を始める。みすゞの作品は雑誌「童謡」等に次々と掲載され、選者であった西條八十に「日本の クリスティナ・ロゼッティ」と賞賛される。 昭和5年(1930)、上山文英堂書店にて、一人の娘を残して、26歳の若さ世を去る。その後、作品は埋もれ、みすゞの名も忘れられていったが、没後50余年を経て、童謡詩人矢崎節夫氏によって奇跡的に再び見出され、年を経てなお新しい作品の数々は、多くの人に深い感動を与える。いま、金子みすゞの作品は日本中に広がり、ひとの心の優しさを伝え続けている。 
(金子みすゞ顕彰碑より)

   

旧秋田商会ビル−金子みすゞコーナー
旧秋田商会ビル(写真左の右側の建物)と金子みすゞコーナー(写真右)
旧秋田商会ビルは、1915年に建てられたもので、秋田商会の事務所兼住居。現在は下関観光情報センターとして使われています。旧秋田商会ビルの1Fの一角に金子みすゞコーナー常設されています。「夢売り」「積った雪」「早春」「芝草」「冬の雨」「白い帽子」などの詩が紹介のほか、みすゞの手帳からコピーしたみすゞの実筆の字や、英国の詩人「クリスティナ・ロゼッティ」の詩との比較などが紹介されています。
よみがえったみすゞの写真
金子みすゞコーナーで紹介されている童謡詩・「夢売り」。大正9年(1920)、大津高等女学校卒業時の写真。「2001年4月 当みすゞコーナーの赤いホストに入っていた一通のはがきが縁で、写真を入手。カメラ屋さん経由でコンピュータで再現さらに一部拡大」とあります。右写真の最上段真中がみすゞ。(※楕円の拡大写真は、当HP制作者が合成したものです)
亀山八幡宮鳥居
  
亀山八番宮の鳥居は、御影石でできている鳥居としては、日本最大の鳥居だそうです。みすゞの作品は、ほとんどが仙崎を詠ったものですが、亀山八幡宮に関する詩として「噴水の亀」「雨の五穀祭」「夏越まつり」などがあります。死ぬ前日、この鳥居のすぐ西(左手)横にあった三好写真館で最後の写真を撮りました。

『金子みすゞ全集』と『金子みすゞの生涯』
『金子みすゞ全集』 
JULA出版局発行/1984年8月第1版/¥8,544

 みすゞが自ら命を絶つ半年前の昭和4年の秋に清書を終えた三冊の遺稿集は、小型手帳の紙質見本に書かれたもので、表紙は濃い茶系の模造皮でできていたそうです。そして、三冊にはそれぞれ扉に『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』と題が書かれてあったそうです。この三冊の童謡集には、512編の作品が書かれてありました。この三冊の遺稿集に、矢崎節夫氏がまとめた「金子みすゞノート」を加えて『金子みすゞ全集』が刊行されました。全集T・『美しい町』大正12年〜大正13年までの172編/全集U・『空のかあさま』大正13年〜大正14年までの178編/全集V・『さみしい王女』大正15年〜昭和3年頃までの162編。
   
『金子みすゞの生涯』
 矢崎節夫著/JULA出版局発行/1993年2月第1版/¥3,398

 みすゞの遺稿を発見し、再び世に出した著者矢崎節夫氏が語るみすゞの生涯。みすゞを知る人たちの証言が盛り込まれ、短い生命を作品に凝縮して逝った詩人への想いがあふれています。第1章◎少女・テル/第2章◎女学校時代/第3章◎みすゞ誕生/第4章◎さみしい王女。
  

【備考】本ページの作成では、下記を参考資料にしました。
(1)『金子みすゞの生涯』 矢崎節夫著/JULA出版局発行
(2)『金子みすゞ全集』 JULA出版局発行
(3)唐戸振興対策協議会/東部の文化財を見直す会の『金子みすゞ童謡創作に地』の説明板
(4)金子みすゞ顕彰碑
    
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