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横井小楠を訪ねて − 熊本市 |
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勝海舟をして、『おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠(よこいしょうなん)と西郷南洲だ』といわしめた横井小楠。坂本龍馬や西郷隆盛をはじめ、幕末維新の英傑たちに絶大の影響を与え、『維新の青写真を描いた男』あるいは『維新の陰の指南役』的存在でありながら、教科書にももろくに取り上げられず、幕末物のドラマに登場することもほとんどない横井小楠。しかし、早くから現実的開国論をとき、東洋哲学と西洋の科学文明の融合を唱え、近代日本の進むべき道を示した人でした。横井小楠ゆかりの地を熊本市に訪ねました。(旅した日 2009年02月) |
よこいしょうなん 横井小楠 |
横井小楠をめぐる維新群像 横井小楠(よこいしょうなん)の生誕190年、没後130年(1999年)を記念して、翌2000年3月、高橋公園内(熊本城稲荷神社の斜め向かいにある)に建立された小楠と縁の人たちの銅像。左より、坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久。 |
横井小楠記念館 |
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横井小楠記念館 記念館の1階に小楠の立像が置かれて、『国是七条』の下書きや、吉田松陰や勝海舟が小楠に宛てた直筆の書簡、暗殺時に応戦した短刀、西郷隆盛の書、松平春嶽の書など小楠ゆかりの人々の直筆の書などが展示してあります。熊本県熊本市沼山津1-25-91(TEL:096-368-6158)月曜休館。JR鹿児島本線熊本駅から市バス交通センター行きで10分、終点で市バス秋津小楠記念館行きに乗り換え35分、終点下車、徒歩3分。 |
し じ けん 四時軒 |
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士道忘却事件(注記) 文久2年(1862年)12月、肥後藩江戸留守居役・吉田平之助の別宅二階で、小楠、吉田、肥後藩士都築四郎の三人が酒宴中、覆面抜刀の男二人に切り込まれます。たまたま梯子段近くにいた小楠は素早く階段を駆け下りて戸外に逃げ、福井藩邸へ帰って大小を受け取り現場に戻りましたが、素手で刺客と格闘した吉田、都築は傷を負います。小楠は、友人二人を見殺しにして逃げたのは、武士にあるまじき振る舞い(士道忘却)であるとの非難を浴びることになりました。小楠は、福井藩の支援があって切腹は免れましたが、政治生命を絶たれることになりました。 |
小楠公園 |
小楠公園 有志の手で作られた公園で、『四時軒』から北東方向へ徒歩10分のところにあります。裃姿に刀を携えた横井小楠の銅像(写真上左)や頌徳碑(小楠の徳をたたえる碑、写真上右)が建てられ、北東の隅に小楠の墓(写真下)があります。小楠は、明治2年(1869年)、京都で刺客に襲われて暗殺され、京都の南禅寺天授庵に手厚く葬られていますが、遺髪が持ち帰られ、小楠公園のこの墓に埋葬されています。 |
補遺 |
横井小楠ゆかりの地を熊本市に訪ねて、この旅行記をアップしたのは、2009年2月のことでした。今回、横井小楠研究家の方からメールを頂きました。(2018年8月21日記) |
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横井小楠紀行拝見しました。皆さんに小楠を知っていただくための素晴らしい内容で感謝申し上げます。実は、先月に拙著「没後150年横井小楠探訪〜西郷を動かした男」を自費出版致しました。熊本県内の各書店での限定販売(約300冊)です。県外の方の拙著に関する問い合わせは小生自宅電話096-370-2052にお願いしています。WaShimo(ワシモ)様のホームページでご紹介して頂けたらありがたいです。よろしくお願いします。 |
徳永さま、本ページをご覧いただき、ありがとうございました。 |
【参考図書】 |
[1]徳永洋著『横井小楠〜維新の青写真を描いた男〜』(新潮新書、2005年1月発行) [2]江藤淳・松浦玲編『勝海舟氷川清話』(講談社学術文庫、2000年12月発行) |
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