築後百年の木造駅舎(1)〜大隅横川駅− 鹿児島県
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今年(2004年)3月の九州新幹線の部分開業から6月までの3カ月間の新八代−鹿児島中央間の新幹線利用者数は、前年同期の在来線特急の 2.4倍を上回り、経済効果も45億円に及んだと地元紙は報じています。新幹線時代の到来のなかで、今なお現役で使用されている築後 100年を経た木造駅舎が鹿児島県内に2つあります。JR肥薩線の大隅横川(おおすみよこがわ)駅と嘉例川(かれいがわ)駅です。肥薩線は、熊本県の八代(やつしろ)を起点に球磨川に沿って人吉まで走り、さらに山間をぬって鹿児島県の錦江湾に臨む町・隼人(はやと)に至る全長124Km余りの、全区間非電化のローカル線で、車社会の到来とともにローカル線が次々と廃止されるなかで、どうにか生き延びてきた路線です。ノスタルジックでどこかに温かみを残す木造駅舎は、人々の静かな人気を集めていますが、ローカル線の現実は厳しい状況にあります。1903年(明治36年)開業の大隅横川駅舎の佇(たたず)まいをアップロードしました。 (旅した日2004年07月)
大隅横川駅
百年の歩み
この駅舎が開業した1903年(明治36年)は、国内では日露関係が緊迫し、海外ではライト兄弟が人類初の動力飛行に成功した年でした。
 
それから100年余、いろんな歴史を目撃してきたことでしょう。ホームの柱には、機銃掃射の貫通した跡が今でも残っていて、『第二次大戦中に被災した機銃掃射の跡です。弾は、屋根、柱を貫通しました。』という説明書きがあります。
 
駅の待合室は天井が高く広々としています。国鉄全盛期の頃は、たくさんの乗客で賑わったことでしょう。
駅舎の入口に飾られた七夕飾りと待合室に貼られた夏祭りのポスターは、子供たちが作ったものでしょう。木造の駅舎に良く似合った素朴なものでした。
 
機銃掃射の跡
『鹿児島市から
おばあちゃんと、戦争の、たまのあとを見にきました。
「はやとの風」がすてきでした。』
〜 横川駅のノートから 〜
はやとの風
大隅横川駅を発車して嘉例川駅方面に向う『はやとの風』
2008.05.04
夜景の木造駅舎
築後100年を経た木造駅舎の夜景は、なおいっそうノスタルジックで幻想的です。
 
山間の小さな街の夜は、猫一匹通らない静けさで、頭上には満天の星が輝いています。今にも、ジョバンニたちを乗せた『銀河鉄道の夜』の汽車や『となりのトトロ』の猫バスでもやってきそうな雰囲気でした。
 
百年の駅舎仰げば天の川  ワシモ
写真左は、22時13分発の吉松行きの最終ディーゼル車です。
 
こんな叙情溢(あふ)れる駅舎にまだまだ頑張って欲しいと願うのですが、金曜日の夜の最終列車だというのに、車内に乗客はまばらで、この駅に降りた人はわずか一人でした。ローカル線には、厳しい現実があります。
補遺
2008年1月15日で開業後満 105年を迎えて、今なお現役で使用されている大隅横川駅。テレビや雑誌などで紹介されても、観光バスが押し寄せるわけでもなく、その佇まいに似て静かな人気を得ている駅舎です。大隅横川駅を久し振りに訪ねてみると、待合室にノートが置かれていました。2007年の8月に、発起人の方が一冊を寄付して置かれたのが始まりだそうです。それから9ヶ月、訪問した2008年の5月、ノートは三冊になっていました。訪れた人たちの大隅横川駅に寄せる思いが短い文章で綴られています。そのいくつかを下記ページに紹介させて頂きます。  ⇒ 大隅横川駅ノートから  
  ・旅行記 大隅横川駅(2)    ・旅行記 嘉例川駅
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