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旅行記 ・うすき雛めぐり − 大分県臼杵市 2017.03.10
うすき雛めぐり
久家の大蔵(くげのおおくら)
九州は『雛(ひな)の国』、
平成29年(2017年)は2月10日から3月20日まで開催された
『うすき雛めぐり』を見に行きました。
久家の大蔵
大分県臼杵市(うすきし)
人口4万人ほどの小京都ながら、『味噌のフンドーキン』や『風邪に後藤散』などで知られるように、
江戸〜明治時代を中心に商業の町として大変栄えたところです。
久家の大蔵
臼杵はもともとは、
キリシタン大名としても有名な大友宗麟が築城した臼杵城の城下町として栄えた町で、
今もその文化の面影に接することのできる町です。
久家の大蔵
その後、関ヶ原の戦いの武功で
美濃・郡上八幡4万石から豊後・臼杵5万石に加増移封された稲葉氏が入封し臼杵藩が始まると、稲葉氏に従って
岐阜からやってきた商人たちが造り酒屋や商店を構え、商業の基礎が築かれました。
久家の大蔵
ひな祭りの期間中、『臼杵市観光交流プラザ』、
城下町二王座歴史の道にある無料休憩所『旧真光寺』、商店街にある『サーラ・デ・うすき』、酒の貯蔵庫だった
『久家の大蔵』
(くじのおおくら)の4つのメイン会場に雛人形が展示されました。
サーラ・デ・うすき
商業の町として
大変栄えた歴史を持つ臼杵なのに、臼杵のお雛様は『紙の雛』ばかりです。
それは徹底していて衣裳雛は一体も見かけません。
サーラ・デ・うすき
臼杵の雛人形が
『紙のお雛様』ばかりなのは、かつて臼杵藩が質素倹約のために臼杵の町の人たちに
紙雛しか飾ることを許さなかたという歴史に由来します。
サーラ・デ・うすき
1831年、臼杵藩13代藩主幾通の代に
財政難を打開するために天保の改革令が出され、生活制限・質素倹約の取り組みが始まりました。
そして、14代の1849年(嘉永2年)に、次のようなお触れが出されます。
臼杵市観光交流プラザ
『町の者たちの雛飾りは、かねて申し付けて
いたように、紙製の雛人形の外は一切禁止する。これまで衣裳雛を所持している者も内緒で飾ることを禁止する。
町で雛人形商売をしている者は役所で決めた値段以外で商売することを禁止する。』
臼杵市観光交流プラザ
古文書によると、
何度も雛人形に関する禁止のお触れが出されたようですが、先人たちはそんな時代にあっても、
子供の成長の無事を祈りながら、紙製の雛を作って飾りました。
旧真光寺
そして、うすき雛の特徴は
和紙で仕立てられていることに加え、菱餅(ひしもち)の段が一つ少なく2段しかないことです。普通、
菱餅は、桃色・白・緑色の3色の餅を菱形に切って重ねたものを飾ります。
旧真光寺
しかし、臼杵では、桃色は贅沢とされ、
うすき雛の菱餅はよもぎ餅の緑と白餅の二段だけ許されたと伝えられています。
桃色粉を買うお金さえも節約していたのでした。
旧真光寺
当時の紙雛の作り方は
残っていませんがお雛様の原型である立雛を参考に、シンプルで気品のある臼杵らしいお雛様が、
2006年春、市民ボランティアの手により誕生しました。
 
 
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