臼杵の町並み/二王座あたり − 大分県臼杵市
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石仏を観覧してから臼杵市街に引き返し、臼杵の町並みを散策しました。臼杵市は、稲葉氏6万石の城下町で、古くは大友氏の拠点があったことでも知られています。市の人口は約3万6千人で、市街地はあまり広くないところに密集して家々が建ち並んでいます。長い間区画整理が行われていないという町並みは、起伏に富んで坂が多く、慣れないと迷子になりそうなほどです。かつて関ヶ原の戦いによって転封された稲葉家に従って、岐阜から臼杵へやってきた商人たちが造り酒屋や商店を構え、今も当時の佇まいをそこかしこにとどめています。武家屋敷や大きいお寺などのほか、居住地にも商店街にも、また飲食街にも、古い建物が残っていて、古き良き日本を見るようでノスタルジックな気分になります。商店街から南へ入った辺りが「二王座(におざ)歴史の道」です。漆喰の壁と重厚感のある瓦屋根の武家屋敷、古い蔵やモダンな洋館などが立ち並び、江戸時代から今に至るまでの長い歴史を今にとどめています。臼杵市街は、歴史と文化を感じさせる町です。                            (旅した日 2003年6月)
 
二王座(におざ)歴史の道
二王座は、武家屋敷が立ち並び、多くの寺が集まっている地域で、昔日の名残を今もとどめています。石畳と石垣に調和のとれた建物が、静かな魅力を醸し出しています。1993年(平成5年)に国の都市景観100選に選ばれています。二王座は、徳川3代目将軍家光公の乳母になる春日局が一時居住したところでもあります。
1716年に浄土宗本願寺派の支院として開基された旧真光寺が、お休み処として無料開放されています。落ち着いた雰囲気の中でセルフサービスの椎茸茶が味わえ、ギャラリーでは写真や手芸などの観賞も楽しめます。二王座は、ゆっくり散策したいところです。
二王座の辺りは、阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しています。「切通し」と呼ばれ、臼杵を代表する景観のひとつです。雨が降ると濡れた石が黒く輝き、一段と風情が増すそうです。
切通しは、かって臼杵城下に侵入してきた薩摩の島津氏と大友家臣が剣を交え、また明治10年の西南戦争で薩摩軍と臼杵隊が激を繰り広げた場所です。
酒蔵の町並み
横町には、1860年(万延元年)創業以来143年の歴史を持つ造り酒屋の町並みが残っています。上の写真の大蔵は、慶応4年(1868年)に完成し、以来久家本店の酒蔵として利用されてきました。
大蔵には、臼杵市がポルトガルのアズレージョ(装飾タイル壁画)作家ロジェリオ・リペイロ氏へ依頼して壁画が描かれています。
小手川酒造(写真上および下)は、作家野上弥生子(1885〜1985)の生家であり、文学記念館が開設されています。創業150年の造り酒屋で、酒作りの合間に作った味噌・醤油を造ったのが、今日のフンドーキン(味噌、醤油の生産量九州一)のはじまりです。
野上弥生子文学記念館
小手川酒造は、作家野上弥生子(1885〜1985年)の生家であり、文学記念館が開設されています。
 − 野上弥生子(のがみやえこ)プロフィール −
明治18年、代屋(しろや)二代目(現小手川酒造)角三郎とマサの間に長女として生まれる。15歳で高等小学校を卒業すると両親を説き伏せて上京し、明治女学校に入学、文学学んだ。22歳女学校を卒業と同時に同郷のの野上豊一郎氏(元法政大学学長)と結婚、以後氏を通じ夏目漱石の指導を受け、作家として大きく成長した。主な著書に「海神丸」「迷路」「秀吉と利休」などがある。昭和46年文化勲章を受賞。昭和60年99歳で死去。
三重塔と武家屋敷
龍原寺の三重塔(写真上)は太子塔とも呼ばれ聖徳太子を祀る塔で、江戸期・安政5年(1858年)竣工の木造三重塔です。京都か奈良にいるような錯覚におちいります。
 
旧臼杵藩主稲葉家下屋敷(写真下)は、廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主、稲葉氏の里帰りのための住宅として、1902年(明治35年)に建てられたものです。
早春賦 

(曲/中田章 詞/吉丸一昌)

一、春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

 
二、氷解(と)け去り 葦は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

 
三、春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急(せ)かるる 胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
吉丸一昌記念館・早春賦の館
1873年(明治6)臼杵で生まれ、国文学者・『早春賦』の作詞者として知られる吉丸一昌(よしまるかずまさ)の生誕120年を記念して、夫人の実家に開館された記念館。『早春賦』のほか、『早春賦』のほか、『故郷を離るる歌』『おたまじゃくし』『蜜蜂』などの作詞がある。1916年(大正5)に43歳の若さで没。大正の初期に何度か安曇野を訪れ、春の訪れを待ちわびる山国の人たちの心を詩に描かれたといわれいます。
丸毛家屋敷(写真上)は、稲葉家下屋敷につづく上級武士の屋敷で、静かな住宅街に静かに佇んでいます。
リニューアルされた商店街
中央通り商店街は、アーケードを撤去して伝統的な町並みを活かした商店街(愛称「八町大路」)として生まれ変わりました。
豊後高田の『昭和の町』の
ような観光スポットの一つになることと思います。
  
 国宝 臼杵石仏
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