|
♪アヴェ・マリア(カッチーニ) |
Piano1001 |
梅君ヶ城跡 − 鹿児島県さつま町鶴田 |
( |
天正5年(1577年)、日向の伊東義祐が島津勢に追われ豊後(大分県)に敗走すると、祁答院(現さつま町一円)の領主・島津歳久(金吾様)は、伊東氏一族の娘であった梅を連れ帰り、この地に住まわせます。それが梅君ヶ城です。それから10年後の天正15年(1587年)5月、川内の泰平寺(現薩摩川内市)で長兄島津義久の帰順を見届けた豊臣秀吉は、帰路祁答院領を通り、ここ梅君ヶ城に立ち寄り、駆けつけて来た次兄義弘から降伏の意を受けます。最後まで秀吉への帰順を拒否し続けた歳久でしたが、天正20年(1592年)7月ついに、秀吉の命によって長兄義久の追討を受け、竜ヶ水(鹿児島市吉野町)に自害して果てました。享年56。島津歳久側室梅君が、1592年まで過ごしたという居城、梅君ヶ城跡を訪ねました。 (旅した日 2008年07月) |
梅君ヶ城跡 |
|
平松神社 |
|
|
|
|
||||||
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved. |