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窯口 |
大砲や砲弾の製造、あるいはガラスの製造の原料となる鉄やガラスの溶融には1500℃に達する高温が必要になりました。石炭を産しない薩摩藩では、古来より火力を木炭に頼っていました。南九州にはシイノキ、カシノキをはじめ、木炭の原料となる堅い雑木が群生しており、寺山もまた豊富な森林資源に恵まれていました。 |
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後方斜め上より見る |
しかし、従来の比較的低温で炭焼されてつくられていた黒炭では、精錬時の温度がせいぜい900℃までしかあがりません。そこで、家臣・山本藤助を紀州(現在の和歌山県)に派遣し、精錬時の温度が1300℃まで上る白炭の製炭法を学ばせた後、寺山に3基の大釜を設け白炭の生産を行いました。これはそのうちの1基の窯跡です。 |
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操業時想像復元図(現地案内板を撮影) |
巨大な炭窯の壁面や窯口は厚い凝灰岩(火山から噴出された火山灰が堆積してできた岩石)の切石を円弧状に積み上げて造られています。高温に耐え、上部の土のドームを支えるために、頑強な構造であったと思われます。凹面のドームで火力を反射させて輻射熱で鉄を溶かす反射炉を建設し、燃料には寺山で生産された白炭を使って、1500℃の精錬温度を達成しました。 |