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〔頼 家〕 武運つたなき頼家の身近うまいるがそれほどに嬉しいか。そちも大方は存じておろう。予には比企(ひき)の判官能員(よしかず)の娘若狭(わかさ)といえる側女(そばめ)ありしが、能員ほろびしその砌(みぎり)に、不憫(ふびん)や若狭も世を去った。今より後はそちが二代の側女、名もそのままに若狭と言え。
〔かつら〕 あの、わたくしが若狭の局(つぼね)と。
ええ、ありがとうござりまする。
しかし、このときすでに、北条時政の手下二三百人が夜討ちをかけようと集結していたのでした・・・・。
(修禅寺物語・第2幕より部分引用)。 |
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おなじく桂川のほとり、虎渓橋(こけいきょう)の袂(たもと)。川辺には柳が幾本も立ち、芒(すすき)と芦(あし)が乱れ生えている。橋を隔てて修禅寺の山門が見える。空には月が出て、かつらは燈籠を持ち、もう片手は頼家の手に添えている。
〔頼 家〕 おお、その時そちの名を問えば、川の名とおなじ桂と言うたな。
〔かつら〕 まだそればかりではござりませぬ。この窟のみなかみには、二本(ふたもと)の桂の立木ありて、その根よりおのずから清水を噴き、末は修禅寺にながれて入れば、川の名を桂とよび、またその樹を女夫(めおと)の桂と昔よりよび伝えておりますると、お答え申し上げましたれば、おまえ様はなんと仰せられました。
〔頼 家〕 非情の木にも女夫はある。人にも女夫はありそうな・・・・と、つい戯れに申したのう。
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