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BGMは昭和寺のHPより
霧ヶ峰『昭和寺』を訪ねて− 長野県諏訪市
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諏訪市街国道20号から県道40号霧ヶ峰線へ入って登ること約17km。霧ヶ峰の入口に位置する緑豊かな林の中に、赤塗りのユニークな建物がひっそりと佇んでいます。『国際霊廟中観山同願院昭和寺』といいます。1970年(昭和45年)の大阪万博でラオス館だった建物が霧ケ峰に移設され、全戦没者の慰霊と世界平和を祈願する無宗派の寺院『昭和寺』となり、かつては本堂の隣にたてられた青少年研修会館で『東南アジア学生ゼミナール』も行なわれていました。開山から38年を経て、建物は古びていますが、毎年6月心のこもった慰霊の法要が欠かさず行なわれていて、現在も続けられています。          (旅した日 2008年06月)


国際霊廟中観山同願院 昭和寺
昭和寺本堂(写真上)
昭和寺の由来
至誠は人天に通じ、浄願は必ず成就す。当寺の建立はその証(あかし)なり。

昭和十六年九月、長野富山石川県下より召集されたる独立混成第二連隊は、安徽省巣県を中心に揚子江北岸一帯を警備し、祭兵団に配属して作戦に参加し、老兵急攻を好まず却(かえ)って殊勲を賞せらる。昭和十八年九月盧洲に於いて東海三県編成の独立混成第二旅団と合体して第
六十五師団を編成し専兵団と称し、司令部を徐州に置き、津浦朧海沿線を警護し終戦す。

この師団の砲兵第一中隊の六十六名は、昭和三十五年三月五日に諏訪市に於いて戦友会を開催し、
中観会(中国に観音様を贈る会)と名づけ、記念事業として悔改向善と順法共生を願求して二体の観音像を造立して日中両国にて祀り、双方の戦没霊を弔らい、今後の両民族の親善と世界平和に貢献せんと議決す。
これに兵団の歩騎工兵隊の有志逐次参加し、矢崎虎夫氏のニ観音像を翌年四月九日浅草寺にて開眼供養し、昭和三十八年九月に全日本仏教会の訪中代表団に託して、中国仏教会へ贈り、北京の広済寺に安置される。

その後各宗、各界の賛同者加わり、
世界平和同願会に発展し、分身観音四十体は、内外の激戦地等に祭られ、三メートル金色像は人類の進歩と調和の表現として万国博覧会(大阪万博)会場に安置され、ラオス
国王より万博ラオス館の寄贈を受け、ここ日本中央の霧ヶ峰に移築して、国際霊廟中観山同願院昭和寺を建立すことを得たり。この間中観会は常に中核団体として協力し、子孫の幸福と国家の安泰を祈り、日中友好と平和推進に貢献する所大なり。よって、この碑を建てその功績を後世に伝える所存である。

昭和五十八年五月五日
    当山第一世沙門良順書
      

以上、『中観会之碑』(写真右)より
国際青少年研修会館(写真左)
本堂の横にある二階建ての国際青少年研修会館は、国際学生ゼミナールと社会教育を行うことを目的としたもので、1973年(昭和48年)に、第1回国際ゼミナールを開講。以来、1991年(平成3年)まで17 回行なわれてきました。 3泊4日で留学生には無料で、交通費の補助もある事業で、寄付や良順師の写経の販売で行われて来ましたが、現在は、資金のめどがつかぬまま中断されたままです。
法要当日は、雨が降って、霧ヶ峰は文字通り霧が立ち込めた状態でした(写真上)が、翌日の夜半には雨が上がってお昼近くにはどうにか青空が見られるようになりました。境内を取り巻く木々の緑と空の青さのコントラストが鮮やかでした(写真右)。


本尊と脇尊
本尊である三メートル金色像(写真上、左)は、1970年(昭和45年)の大阪万博に、故山崎良順師が世界平和を祈願して発願し、貫通銃創により痛む脚で広く浄財を募り製作して、古河パビリオンの前に建てられたものです。

師は戦前は梵文学者として、南伝大蔵経などサンスクリットやパリー語の仏典の翻訳にたずさわっていました。幹部候補生でしたので山砲の隊長として中国に出征し、学問は途切れてしまいました。

戦地では2回も負傷したにもかかわらず、終戦まで帰国出来ませんでした。そして仏教学者でありながら多くの中国人を死に至らしめたことに心を痛めました。

そして、日本が平和で繁栄していくには、同じアジアの中国と仲良くやっていく必要があり、そのためには、戦争で亡くなった方々の慰霊は、敵味方の隔てなく行なわなくてはならないと強く主張して来られました。そして、そのためにも平和観音像を建立しようと発願されたのでした。

万博の終了後、ラオスのパビリオンを払い下げて頂いて、風向明媚な霧ヶ峰に移築しました。そして昭和寺として、世界平和を祈願する無宗派の寺院としたのでした。
 〜昭和寺ホームページより転載
本 尊 世界平和同願観世音菩薩像
    (小)六十糧鋳造・第一体観音像 (大)三メートル金色像・万博会場安置
左脇尊 万博ラオス館安置釈迦(写真上左)
右脇尊 聖徳太子等身大合掌形像(写真上右)
本 堂 万博ラオス館を移設す。天女彫刻美術扉(写真下右)や木鐘等あり。
全戦没者の慰霊と世界平和を祈願する法要が毎年欠かさず行なわれ、現在も続けられています(写真上)。


三社神殿
三社神殿

昭和寺の境内に建てられた、天照皇大神、諏訪大社、霧ヶ峰御射山神社をお祀りする神殿。聖徳太子からの寺院の境内に鎮守神を奉祀して平和を願う信仰の形式を取り戻すことによって、争いの根源である異教徒排斥を止めるよすがとしたいと願ったものです。建材は、伊勢皇大神宮のご遷宮の折の旧材を授与して頂き、三年間かかって完成しました。年一度の昭和寺に於ける全戦没者慰霊祭の折は、諏訪大社の神官による『三社神殿祭』(写真下)が先立って行なわれています。



戦没者四方遥拝碑
遥拝(ようはい)とは、遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと。四方遥拝碑は、昭和寺の本堂を中央にして、それぞれ東西南北に配置して建てられた全戦没者慰霊の碑です。
1984年(昭和59年)、昭和寺付近から大量の自然石が出土、昭和寺の造営資材として無償交付されることになりました。良順師はこれを天意と受け止め境内四方に戦没者遥拝塔を建てることとしました。すでに多くの基金の協力を得たあとなので、個人の発願として取り掛かりました。個人ということは、結局は癌床にあった次女利子の肩にかかることでした。しかしその負担に反対していた利子でしたが、亡くなる前に碑の完成を確認して納得して逝ったということです。 〜入来院貞子氏のサイトの世界平和同願会のページより転載



万霊碑
昭和寺に分骨法要を依頼された方々の遺骨をお祀りするために平成8年(1996年)に建立されました。入来院大圓師の揮毫によるものです。

昭和寺からのお願い!
                     移設後38年経ちました。昭和寺は大変痛んでいます。

2006年(平成18年)、研修会館の雨漏りと抜けそうな床は修理しましたが、 本堂は力不足でまだ手付かずです。雨漏りが始まっています。塗装と屋根の修理に200万円 ほど必要ですので 趣旨にご協力下さる方、大阪万博の遺物を惜しむ方、 是非ご協力下さい!

  ■振込先  郵便為替番号  02030−6−20427 世界平和同願会
  ■年会費  3000円、5000円、10000円 (機関紙『同願』年2回送付)
  ■寄付   1000円 より、上限はありません。   ※年会費、寄付のどちらであるか明記して下さい。

お問合せ先  (財) 世界平和同願会理事長 入来院重朝 〒895-1402 薩摩川内市浦之名130 TEL:0996-44-3586


 世界平和同願会  昭和寺のホームページ


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