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旅行記 ・荘内南洲神社 − 山形県酒田市 2017.06.02
荘内南洲神社
荘内南洲神社
庄内藩(今でいう山形県鶴岡市、酒田市)の藩主や藩士たちは、戊辰戦争の戦後処理で西郷隆盛の下した処置が温情ある極めて寛大ものだったことに感じ入り、西郷に教えを請うようになりました。やがてその教えを『南洲翁遺訓』という一冊の本に編集して出版し、全国に配り歩き始めました。
荘内南洲神社境内
昭和50年(1975年)には、酒田市に、財団法人荘内南洲会が設立されました。その願いは、(1)西郷南洲先生の大徳の顕揚、(2)『南洲翁遺訓』の講究と弘布、(3)社会風教作興への貢献、というものでした。そして、翌年の昭和51年に酒田市飯盛山下に南洲神社が創建されました。
南洲翁と菅臥牛翁の肖像画
伊勢神宮から用材の払い下げを受けた総檜造り、銅板葺の神殿となっています。『南洲翁遺訓』(第三版)に『東北の一角、此の酒田の地に、南洲翁(西郷隆盛)・菅臥牛翁(菅実秀)先生の御霊を鎮座し、朝夕拝する夢が実現した事は、言語に盡くせぬ感激でありました』とあります。
荘内南洲神社のパンフレットや年4回発行の機関誌『敬天』
南洲神社は、(財)荘内南洲会により、南洲会館、南洲文庫と共に運営され、南洲翁に関する遺墨、遺品、研究資料を始め、明治維新関連資料や荘内出身の偉人傑士の書画などが数多く収蔵されています。平成13年(2000年)には境内に、南洲翁と菅臥牛翁が対話している『徳の交わり』像が建立されました。
西郷隆盛の遺墨と(財)荘内南洲会理事長の水野貞吉さん
(財)荘内南洲会は現在会員が約四五〇名。『南洲翁遺訓』をはじめ、論語や人間の道を求めた古聖賢の教えなどを学ぶ『人間学講座』の開催(毎月第2土曜日の午後2時より4時まで)、機関紙『敬天』の年4回の発行、鹿児島や薩摩、西郷が流島された島々、西南戦争の舞台となった場所などを訪ねる活動などが現在も続けられています。
荘内藩士・石川静正による西郷隆盛肖像画
西郷隆盛肖像画(写真上) 荘内藩士・石川静正(1848〜1925)によって描かれたものの複製(写真)です。石川静正は、明治3年に約5ヶ月半、明治8年に約20日間、訪鹿滞在し西郷南洲翁の教を得ており、明治8年訪鹿時に描かれたものだそうです。西郷南洲翁の『武屋敷』の写生も行っており、画人としても著名である。巻物六巻(写真下) 西郷隆盛が沖永良部島に配流されたときに牢を座敷牢に改築するなど厚遇し西郷と義兄弟の契りをむんだ土持政照に西郷が与えたもので、社倉法による備荒備蓄の教えなどが書かれています。
西郷が土持政照に与えた巻物六巻
   山居倉庫と南洲神社
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