♪アリラン(朝鮮民謡)
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世界遺産宗廟 − 韓国ソウルの旅(5)
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ソウル市内にある世界遺産・『宗廟』(そうびょう、チョンミョ)は、朝鮮王朝時代の歴代王と王妃の神主(しんしゅ、位牌)を祀って祭祀が行われた国家最高の祠堂 (しどう) で、総面積56,000坪余りの敷地に、同時代の単一木造建築物としては世界最大規模を誇るといわれる全長 101mの正殿の風景は、壮大そのものでした。1392年、高麗王朝の武将の一人だった李成桂(イ・ソンゲ)は、高麗王朝を倒し、翌年に国名を朝鮮と改め、1394年に都を開城(ケソン、現在板門店と軍事境界線を間近にしている北朝鮮の軍事沿線都市)から漢陽(現在のソウル)に移します。その際、儒教の礼法にしたがって、正宮・景福宮(キョンボックン)を建てる場所の東側に創建したのが宗廟でした。現在のものは、1592年の豊臣秀吉の文禄の役(壬辰倭乱)で消失され1608年に再建されたもので、正殿は祀る神主の数が増えるに従って何回か建物を増築し現在のような姿になりました。                              (旅した日 2009年09月)
     
     
正殿
石を整え積み上げて作った月台と神道(写真上)
月台と正殿の東端部(写真上)
月台と正殿の西端部(写真上)
月台と正殿(写真上)
正殿(チョンジョン)は、宗廟の中心をなす建物で、李朝時代の初期には、太祖(李成桂)の4代祖の位牌を祀り、それ以降は当時の在位王と歴代王のなかでも特に功績のあった王と王妃の位牌を祀り、祭祀を行いました。現在は第1室である西側1番目の間に祀った太祖の位牌をはじめ、李氏朝鮮の最後の皇帝である27代純宗皇帝まで、各王と王妃あわせて計49位の位牌が19室に祀られています。
正殿への門
正殿を取り囲む壁(写真上・下)
正殿の西側に1421年、別廟として『永寧殿』(ヨンニョンジョン) が創建され、太祖(李成桂)の4代祖、正殿より移安された王と王妃、および死後称号を贈られた王と王妃の位牌が祀られています。
     
     
宗廟祭礼

宗廟で行なわれる『宗廟祭礼』は、元来、四孟朔といって春夏秋冬のそれぞれの季節の初めの月と、その年の12月に年五回行なわれていました。王が直接宗廟に出向いて先祖に感謝し、国の安泰を祈り、祭祀(チェサ)という儒教的な儀式を行うもので、そのスケールは国家最大の伝統行事といえるものでした。祭祀は日本統治時代には行われなくなりましたが、独立後復活しました。現在は、年に一度、毎年5月第1日曜日に全州李氏一族が集まり、伝統的衣装をまとって祭礼楽、楽章など、当時さながらの祭礼が行われており、その模様は一般公開されます(ウィキペディアを参考)。写真は、宗廟内の案内板を撮影したものです。

   
   
斎室
斎室(ジェシル)は、御粛室(オスッシル)ともいわれ、王と皇太子が祭祀前日に身と心を清めた場所です。
   
   
三道
外大門をくぐると、『三道』(サムド)と呼ばれる、中央と左右の3つの部分にそれぞれ薄石が敷かれた道が奥へとのびています。左右に比べて若干高くなっている中央の道が神が通るための道とされる『神路』(シンノ)、右(東)側の道が王が通るための道とされる『御路』、左(西)側の道が皇太子が通るための『世子路』といわれます。三道は正殿の神門へと通じており、祭祀の際に利用されます。三道は、特に真ん中の神路は通行禁止にされています。
      
       
外大門
外大門(ウェデムン)は、蒼葉門(チャンヨンムン)とも呼ばれ、韓国伝統の彩色や装飾が控えられ、古宮の正門に比べてシンプルなのが特徴です。元々は正面中央に階段がありましたが日本統治時代の道路工事で地中に埋まってしまい、現在は基壇のみ残っています。
             
   
 韓国儒教文化 〜 宗廟・社稷壇
  
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