♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
関宿を訪ねて − 三重県亀山市
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三重県亀山市関町は、鈴鹿山脈の東麓にあり、古代には越前の愛発(あらち)、美濃の不破(ふわ)とともに三関といわれた伊勢鈴鹿の関が置かれていたところで、町の名もこの鈴鹿の関に由来します。慶長6年(1601年)、徳川幕府の宿駅制度化によって東海道に53の宿場が設けられると、品川から数えて47番目にあたる関宿が整備されました。関宿は、西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢別街道がそれぞれ分岐していたため、これらの街道を往来する人々もあって、参勤交代、伊勢参りなどの交通の拠点として江戸時代を通じて繁栄しました。伝統的な町並みの景観がよく維持されている関宿を訪ねました。
                                        (旅した日 2007年07月)  


関宿
 国の重要伝統的建造物群保存地区
中町から望む地蔵院本堂の屋根と鈴鹿の山々
関宿の町並みは、東の追分から西の追分まで約1.8kmの街道沿いに、200軒ものの古い町屋が軒を連ね、意匠的に華やかな町並み、簡素で落ち着いた町並みと、変化に富み見応えがあります。電線が地下に埋設されていることも美しい景観を保つ要因になっています。木崎(こさき)、中町、新所(しんじょ)の町並みの順にその光景を以下にアップロードしました。

広重の驟雨となりぬ関の宿 ワシモ


木崎の町並み  
東の追分(おいわけ)
東の追分は、関宿の町並みの東の入口で、東海道と伊勢別街道の分岐点にもなっています。今も残る大鳥居は、伊勢神宮を遥拝するもので、伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがなわらしになっています。道標には外宮(伊勢神宮)まで15里(60km)と刻まれています。
木崎(こさき)の町並み
木崎の町並み(写真上・下)は、関宿の東側に位置する町並みで、平屋ないし中二階の比較的建ちの低い町家が並びます。中町に比べて、建物の意匠は簡素なものの、伝統的な町並みの景観がよく維持されています。上の写真から関宿の町並みの始まりです。
 中町の町並み
御馳走場跡
御馳走場(ごちそうば)は、関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりしたところです。 関宿には四カ所の御馳走場がありました。写真は、中町の東端にあった御馳走場跡で、今はポケットパークとして整備されています。
御馳走場という言葉は現代では使いませんが、今風に言えば、一種の迎賓館と言えるでしょう。
御馳走場跡にて
開雲楼と松鶴楼
御馳走場跡のポケットパークの向かい側にあったのが開雲楼(写真左)と松鶴楼(写真右)。開雲楼は松鶴楼と並んで芸妓置店でした。街道筋の宿場ではたいていの旅籠で飯盛女と呼ばれる遊女を置き、また専門の遊廓も多かったようです。開雲楼は、その代表的なもので、表の立繁格子やべにがら塗りの鴨居や柱にその面影を遺しています。松鶴楼は、遊快亭という名前の店になっています。
玄関のしめ飾り
玄関のしめ飾り。関の多くの町家の多くに見られる玄関のしめ飾りです。正月を思い出しますが、平時でも飾られています。みかんは作り物のようです。
百五銀行
町並みの景観に配慮したデザインの百五銀行。平成9年度(1997年)の三重県さわやかまちづくり賞
受賞しているそうです。
百五銀行前から西を眺めた町並み。前方に鈴鹿の山々が見えます。
中町の町並み
中町は関宿の中央に位置し、西から一番町から六番町までにわかれています。本陣、脇本陣、問屋などがおかれ、主だった旅籠が集中した宿場の中心で、特色ある町屋が残っている町並みです。比較的建ちの高い大規模なものが多く、二階壁面も塗籠めて虫籠窓(むしこまど)をあけるなど、木崎や新所と比べて意匠的に華やかな町並みが続きます。

関宿旅籠玉屋歴史資料館

『関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か』と謡われた、関宿を代表する大旅籠玉屋は、江戸時代の旅籠建築として修復され、歴史資料館となっています。当時の道具や旅に関係する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが展示されています。
『関の戸』から眺める町並み
玉屋の向かいにあって、特色ある庵看板が人目を引く建物が関を代表する銘菓『関の戸』の深川屋。漆喰を塗籠めた土塀に虫籠窓のある格式高い二階建ての家です。
山車倉
山車(だし)を仕舞って置く倉庫です。最盛期には16台の山車(だし)があって、関宿の祭りのとき山車がこれ以上道を進むことができないということから『関の山』という言葉が生まれたのだそうです。今は4台の山車が残っています。
伊藤本陣跡
本陣は参勤交代の大名や、公家、公用の幕臣などが利用した格式の高い宿泊施設でした。関宿では、川北家と伊藤家が代々本陣をつとめていました。両家とも広大な敷地に千坪ほどの家屋をもっていました。現在も残るこの建物は、伊藤本陣の店部分にあたります。
旧鶴屋脇本陣
脇本陣は本陣の補助的役割を担う施設で、本陣と同じように大きな規模を誇りました。 鶴屋は、玉屋、会津屋とともに俗謡にも謡われた関を代表する旅籠のひとつで、江戸時代末には脇本陣もつとめました。装飾的な千鳥破風(ちどりはふ)がその格式を示していて、虫籠窓(むしこまど)も美しいです。
百六里庭・眺関亭
中町の町並みの真ん中付近にある『百六里庭』は、江戸から百六里のところにあることから名づけらた小さな公園。通りに面した建物を眺関亭といい、その屋根部に登ると文字通り関宿の家並みが一望できます。
ナガオ薬局
中町にある『ナガオ薬局』は、文字通り薬屋さんでしたが、現在は薬局の面影が残る中にアンティークの品々が置かれ、お茶が飲める雑貨&カフェになっています。
眺関亭からの眺め
中町から西を見ると、美しい家並みとともに、地蔵院本堂の屋根と鈴鹿の山々が正面に見えます。この眺めは関宿の代表的な町並み景観になっています。
新所の町並み
関の地蔵院
『関の地蔵院に振り袖着せて奈良の大仏嫁に取ろ』の俗謡で名高い地蔵院。天平13年(741)、奈良東大寺で知られる行基菩薩によって創建されたと伝えられる古刹で、本尊地蔵菩薩座像はわが国最古の地蔵菩薩といわれます。境内の本堂、鐘楼、愛染堂が国の重要文化財に指定されています。ています
若くして父の仇を討った烈女として知られ、鈴鹿馬子唄にも登場する『関の小万』の生まれ育った山田屋は、今でも『会津屋』として現存しています(写真右)の建物。
⇒ 関の小万

『地蔵堂』の額


新所の町並み
関宿の西側に位置し、地蔵院の門前から西の追分までが新所(しんじょ)の町並みです。地蔵院の門前あたりは、中二階の町家がみられますが、新所西側は大半が小規模な平屋で仕舞屋風であるため、全体としてやや地味で落ち着きのある町並みが続きます。

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