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維新の間(エントランス) |
本殿の一階は、維新の間と金襴の間 から成り、嬉しいことに写真撮影が可能です。2階は薩摩の間、民窯の間、 官窯の間、皇帝の間からなりますが、撮影禁止となっています。 |
維新の間(多目的ホール) |
2階の薩摩の間では幕末から明治にかけて 日本を牽引して近代国家へと導いた薩摩の姿を、同じく2階の民窯の間では、朝鮮陶工によって創始し、 江戸時代を通して多様性あふれる焼き物へと育まれた薩摩焼を紹介しています。 |
維新の間 |
1階の維新の間は、 薩摩伝承館を象徴するメインホールで、豪華絢爛の金襴手薩摩焼を展示するとともに、 多目的ホールとして結婚式を始め様々なイベントが行われます。 |
金襴の間(左)と維新の間 |
同じく1階の金襴の間は、幕末から明治期に 海を渡った金襴手薩摩焼の美を象徴する空間です。現在、薩摩伝承館は里帰り薩摩130点を所蔵しているそうです。 金襴の間の背景は、一万枚の金箔の壁となっており、腰壁の陶板は十五代沈壽官氏の作です。 |
金襴の間 |
薩摩金襴手は、1867年のパリ万国博覧会をきっかけに 人気に火がつきました。西欧での豊かな需要を求めてより大きく、より華やかに姿をかえた薩摩金襴手は、西洋の 美意識に応えた焼物となり、西欧では大建築を豪華にかざる室内装飾品として迎えられました。 |
金襴の間 |
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琴画図硯屏(沈寿官窯) |
一方で、日本の伝統表現をまもった、 日本向けの良品も生み出し続けました。琴画図硯屏(きんがずけんびょう)は、彫りを染浦泰京が 行い、森山周運が絵付けを担当した十二代沈壽官窯の名品です。 |
十字の間 |
金襴手薩摩焼は、室内装飾として大型化する一方で、 多様な形と繊細な絵模様が施された小型の作品も作られました。『十字の間』と名づけたこのスペースは、 その繊細な絵付けと素地の美しさを、目前でじっくりと鑑賞してもらうための場所です。 |
唐人物花車図宝袋形鼠鈕香炉(左)と和漢風俗図手桶形花瓶(一対) |
指輪やベルト、バックルなど、当時の女性が身につけて 飾りたいと思うほど、薩摩金襴手に魅了されていたことが伺えます。特に指輪は、裏面をみると糸を通す穴があり、 本来ボタンとして輸出され、西欧でわざわざ金具を装着して指輪に仕立てられたことがわかります。 |
横浜薩摩 |
横浜は、江戸時代末期に国際貿易港として 開港して以来、陶磁器貿易の集散地として発展を遂げました。また、素地生産んと絵付加工の 分業が確立されるにいたって絵付師が集まるようになりました。 |
横浜薩摩(黒地舞踏図瓶) |
そして、多数の画工を雇う有力な 絵付業が現れます。素地は全国の主要産地から集められ、薩摩からも素地の状態で多くが 横浜に運ばれ、現地で絵付けされ、『横浜薩摩』と呼ばれるようになりました。 |
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花鳥人物芝山象嵌箪笥(19世紀) | ||
芝山象嵌(ぞうがん)とは下総(千葉県)芝山の大野木専蔵が江戸時代後期に考案した技法で、 漆面に象牙や貝、珊瑚などを象嵌して文様を描くものです。こ箪笥は象牙と螺鈿を使い分けて、白鷺、鶉(うずら)、 鴛鴦(おしどり)、雁、鶏などの鳥や花々とともに、雁をする鷹匠と唐子の人物像も描かれています。 |
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人物図獅子乗大飾壺(一対)(薩摩19世紀後半) | ||
より大きく、華やかな作品は、西欧では大建築を豪華に飾る室内装飾品として迎えられました。 左右対称のデザインが好まれたので、2個で1セットの形で作られました。人物図獅子乗大飾壺の画題は、西欧の 人々の東洋趣味を反映して片面が日本の武人、もう片面が唐子という和漢の人物図となっています。 |
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人物図獅子乗大飾壺 | ||
【参考サイト】 (1)薩摩伝承館 公式ホームページ | ここにくれば薩摩がわかる (2)指宿温泉 砂むし温泉 指宿白水館 | 公式ホームページ |
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http://www.hak
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