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旅行記 ・古里温泉と桜島 − 鹿児島市  2009.07 (編集 2012.11)
古里(ふるさと)温泉
高台にある古里公園からながめる古里温泉。
桜島港から垂水行きのバスに乗って約20分、バス停『古里温泉』で下車すれば、そこはちょうど桜島の南岸にある、錦江湾に面した温泉場です。江戸時代中期の宝暦5年(1755年)頃に開かれ、西郷隆盛や大久保利通も湯客になった温泉場です。大正3年(1914年)の桜島大爆発のときも被害が少なかったといわれ、3つのホテルがありましたが、そのうちの『ふるさと観光ホテル』が2012年9月に閉鎖しました。
 
龍神露天風呂
桜島の象徴の一つだった龍神露天風呂
近年の桜島の活発な降灰などで利用客が落ち込み、売り上げが激減していたといわれます。ふるさと観光ホテルの名物『龍神露天風呂』は、海辺に面し、浴衣を着て混浴で入ることで有名な露天風呂で、桜島の象徴の一つなっていました。是非、この龍神露天風呂だけでも引き継がれて欲しいものです。
海辺の露天風呂は海と一体化してみえます
『龍神露天風呂』の温泉は、根太い幹が悠然として大きく幾重にも張った樹齢200年余を超える赤禿(あこう)の樹元から湧き出ています。巨木赤禿には途轍もない強い龍神が棲むと言い伝えられており、露天風呂の名前の由来になっています。注連縄(しめなわ)が張られ、月に三回(一日、十一日、十八日)、お供え物と祀りがされてきました。
まさしく龍神が棲む雰囲気の巨木の赤禿
 
林芙美子文学碑
林芙美子記念文学碑(桜島、古里公園)
芙美子がよく口ずさんでいたという詩
  
しかし、鹿児島の縁者に快く受け入れてもらえなかった芙美子は、学校にもほとんど通わないまま両親のもとに帰り、養父と母と三人で行商を営みながら各地を転々としまわり、13歳のとき広島県の尾道市に移り住みます。尾道市立高等女学校へ進学し、恩師である今井篤三郎の指導により、次第に文学の道を志すようになります。
  
  花のいのちはみじかくて
          苦しきことのみ多かりき
  
古里公園にある『林芙美子記念文学碑』は、昭和27年(1952年)に文学碑が、平成2年(1990年)に芙美子像が建立されました。
  
林芙美子
古里温泉といえば、大正から昭和20年代に活躍した女流作家の林芙美子(1903年〜1951年)。林芙美子は、母・林キクが兄の経営する古里温泉を手伝っているとき知り合った泊り客(行商人)の宮田麻太郎との間にできた子でした。明治36年(1903)年、現在の福岡県北九州市門司区小森江で出生しますが、実父・の認知を得られず、母の兄の姪として入籍し、6歳まで古里温泉で過ごしました。本籍地もここになっています。その後、両親は別れ、母が行商人であった沢井喜三郎と結婚します。養父となった沢井が事業に失敗すると、11歳の芙美子は一人鹿児島の親戚(母キクの実家)に預けられ、山下尋常小学校に転入します。
幼少の芙美子像
桜島
大正溶岩原に作られた有村溶岩展望所
有村溶岩展望所 南岳の麓、有村地区の大正溶岩原に作られた展望所。ここから見る山は、見慣れた横長の桜島とは違った円錐型をしています。桜島は、文明(1476年)、安永(1779年)、大正(1914年)、そして昭和(1946年)に記録的な大爆発を起こしており、その時に流出した溶岩原を各地でみることができます。
全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道
特に、大正3年(1914年)の噴火では、30億トンもの溶岩を一ヶ月以上にわたって流出させ、8つの集落を埋めつくしました。また、東側では幅約400メートル、深さ約70メートルの海峡を埋めて大隅半島と陸続きにしました。そのときにできた溶岩原の中にあるのが有村溶岩展望所です。
最も高いところにある湯之平展望所
湯之平展望所 海抜373m、桜島岳の4合目に位置する一番高い展望台。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げる様は圧巻。一方桜島の反対方向には視界が開け、眼下を見下ろせば錦江湾と鹿児島市街地、遠く北には霧島連山、南には開聞岳までを一望できる景勝地です。
大正3年の大噴火で火山灰に埋まった鳥居
黒神埋没鳥居 大正3年(1914年)の大噴火のすさまじさを伝える史跡として県の天然記念物に指定されている黒神埋没鳥居。桜島東岸の道路脇にあります。高さ3mの鳥居の上の笠置の部分だけが地表から頭を出し、それから下は火山灰に埋まっています。
景観に配慮して
茶系統の色を採用したシックな感じのコンビニエンスストアー
桜島と桜島大根をあしらった街燈
そんな中で、折角の景観に配慮した取り組みが成されている観光地もあります。たとえば、自動販売機を小型のものにし、外観を黒系や茶系の色に塗り替え、その上木枠にはめて込んで目立たないように工夫されています。桜島のフェリー乗り場近くにある二件のコンビニエンスストアもそうした景観への配慮の一つです。目につきやすい原色の採用をやめ、看板も含めて、地味な茶系統の色に統一されています。
自然一色の風景、瀟洒(しょうしゃ)なあるいはシックな街並み、たとえば明治・大正時代を彷彿とさせるレトロチックな建物群の中に、突然人工的なオブジェクトが露出していて、折角の風景を台無しにしているのを見かけることがあります。先ず多いのがドリンクやタバコの自動販売機の原色の露出、おびただしい数の幟(のぼり)、置き去りにされた道路工事用の標識、蛇口付近に無造作に巻きつけて置かれた鮮やかな緑色や青色のビニールホースなどなど。
看板の文字も茶系統の色で
こちらのコンビニエンスストアもシック
 
 溶岩なぎさ公園
 『桜島海づり公園』
桜島海づり公園 桜島の玄関口、桜島フェリーターミナルから徒歩10分のところにあるのが、『桜島海づり公園』や『溶岩なぎさ公園』。平成17年にオープンした桜島海づり公園は、雄大な桜島をバックに気軽に釣りが楽しめるレジャースポットです。水深は6〜9m、潮流は比較的早い釣り場ですが、アジ、アラカブやタイなどが釣れます。
全長約100mの足湯がある『溶岩なぎさ公園』
溶岩なぎさ公園 岬桜島フェリーターミナルから徒歩10分。眼前に広がる錦江湾そして後ろにそびえる桜島を眺めながられる、広い芝生のある公園です。園内にある足湯は、全長およそ100mで、屋外施設の足湯としては国内最大規模を誇ります。湯は、地下1000mのマグマ層から湧き出る温泉の掛け流しで、無料。
梅崎春生『桜島』文学碑(桜島、溶岩なぎさ公園)
小説『桜島』文学碑 太平洋戦争末期、通信分遣隊下士官として桜島に赴任した梅崎春生の代表作。雑音のため聞き取れなかった玉音放送が『終戦の御詔勅』だと知った通信兵たちがそれを確かめに暗号室に向かうラストシーンがとても感動的です。”桜島岳の天上の美しさ”、それは再び得た”生”への賛美に他なりません。
 
 桜島フェリー
桜島フェリーターミナル
桜島フェリーは、鹿児島市の鹿児島港と桜島港との間を結ぶフェリーで、鹿児島市船舶局が運営しています。大正3年(1914)、桜島の大噴火によって大きな被害を受けた地元住民の間から、災害復興や教育振興(通学)のために鹿児島市街地と桜島とを結ぶ定期航路を望む声が上がりました。
鹿児島港と桜島港の中間点あたりの船上から桜島を望む。
このため、当時の西桜島村(のちの桜島町、現・鹿児島市)が昭和9年(1934年)より運航を開始しました。その後、次第に便数が増え、現在では昼間最短10分間隔、深夜60分間隔の24時間運航が行われており、約3.5kmの距離を約15分で結んでいます。
鹿児島港を出港し桜島に向かう第十五櫻島丸(チェリークイーン)
『よりみちクルーズ』(鹿児島港→神瀬→大正溶岩原沖→桜島港、所要時間50分)が毎日1本運航されています。また、貸し切りも可能で洋上結婚式が行われたこともあります。なお、桜島の噴火災害に備えて、桜島の各所にはフェリーが着岸できる場所が設けられています。
こちらは、種子島・屋久島に向けて鹿児島本港を出港した超高速水中翼船『トッピー』
 レポート ・林芙美子
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