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芙美子がよく口ずさんでいたという詩 |
しかし、鹿児島の縁者に快く受け入れてもらえなかった芙美子は、学校にもほとんど通わないまま両親のもとに帰り、養父と母と三人で行商を営みながら各地を転々としまわり、13歳のとき広島県の尾道市に移り住みます。尾道市立高等女学校へ進学し、恩師である今井篤三郎の指導により、次第に文学の道を志すようになります。
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき
古里公園にある『林芙美子記念文学碑』は、昭和27年(1952年)に文学碑が、平成2年(1990年)に芙美子像が建立されました。 |
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林芙美子 |
古里温泉といえば、大正から昭和20年代に活躍した女流作家の林芙美子(1903年〜1951年)。林芙美子は、母・林キクが兄の経営する古里温泉を手伝っているとき知り合った泊り客(行商人)の宮田麻太郎との間にできた子でした。明治36年(1903)年、現在の福岡県北九州市門司区小森江で出生しますが、実父・の認知を得られず、母の兄の姪として入籍し、6歳まで古里温泉で過ごしました。本籍地もここになっています。その後、両親は別れ、母が行商人であった沢井喜三郎と結婚します。養父となった沢井が事業に失敗すると、11歳の芙美子は一人鹿児島の親戚(母キクの実家)に預けられ、山下尋常小学校に転入します。 |
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幼少の芙美子像 |
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