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旅行記 ・国立太平洋記念墓地(パンチボウル)− ハワイ(2) 2016.12.27
国立太平洋記念墓地(パンチボウル)
国立太平洋記念墓地
国立太平洋記念墓地 私たちがハワイに入国したその日(現地時間の2016年12月28日)は、折しも安倍晋三首相がハワイに到着された日でした。阿倍さんは午前中にこの国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of the Pacific)などを訪問され献花されました。その国立太平洋記念墓地に、同日の午後、バスの車窓ツアーでしたが行ってきました。
植樹とグリーンの芝生が美しい
国立太平洋記念墓地はホノルルの市街地の北のはずれの火山噴火によってできたクレーター跡に造られています。クレーターの形が、フルーツパンチを入れる器に似ていることから、パンチボール(punch bow)と呼ばれています。約53,000名の兵士とその家族の永眠の場で、パール・ハーバー攻撃で命を落とした米軍兵士など20世紀の戦争犠牲者を追悼する国家歴史登録財で、米国の国立墓地はこのパンチボールとアーリントン(バージニア州)の2個所だけだそうです。
芝生の墓石のある下に埋葬されています。
日系人では、ハワイ初の宇宙飛行士エリソン・オニヅカ(1986年にスペースシャトル『チャレンジャー号』の事故により39歳で殉職)、ダニエル・イノウエ上院議員(大統領継承順位第3位の高位である上院仮議長を歴任、第二次世界大戦でアメリカ陸軍に従軍した陸軍大尉)が埋葬されています。
高さ30フィートの女神像
第二次世界大戦の退役軍人スタンリー・ダンハムなどのハワイの英雄、オバマ大統領の父親など名誉勲章の受章者が埋葬されているそうです。『行方不明兵士の中庭』の10ヶ所には、第二次世界大戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争で行方不明、死亡、水葬された戦没者約29,000名の名前を刻み、その功績を称えています。
あちこちに献花がされています
Puowaina(プオヴァイナ) パンチボールは、古来ハワイ語では『Puowaina』(プオヴァイナ)と呼ばれてきました。その語源は『いけにえの丘』という意味だそうです。昔このクレーターの縁には、その上で無数のいけにえが燃やされた大きな岩の祭壇があったそうです。プオヴァイナという名は、今でもこの国立墓地に通ずる道路の名前(Puowaina Drive)として残っています。
墓参に訪れた家族
古来ハワイアンの社会では、例えば、女性が豚肉を食べてはいけない、男女が一緒に食事をしてはいけない、酋長の影を踏んではいけないなど、たくさんの掟、いわゆる『タブー』があったそうです。それを犯した罪人は、いけにえとして、大きな岩の祭壇で焼かれたのだそうです。
国立太平洋記念墓地(入口門方向を望む)
パパコレア(Papakolea)
左手の山裾が『パパコレア』で右手が『パンチボール』
パコレア(Papakolea)地区 ハワイ王国時代の史跡・名所が多く残り、州政府庁やホノルル市庁があるハワイの政治・経済の中心地、いわゆるダウンタウンから山手に向かった進んと右手にパンチボウルがあります。左手はパンチボウルの背後に当たるパパコレア(Papakolea)は、先住ハワイアン特別居住区です。
パパコレア地区(先住ハワイアン居住区)
ハワイ王朝が崩壊後、カウアイ島の最後の王であったピイコイの息子だったプリンス・クヒオ(ワイキキに銅像があります)は政治活動を続け、初めてのハワイアンとしてアメリカ下院議員に進出しました。彼の尽力によって、ハワイで住む場所を追われたたくさんのハワイアンの人たちに優先的に土地を与える法律が、1920年にアメリカ議会を通過しました。
『Papakolea』(パパコレア)の標識
ハワイアンの保護区に指定された土地はハワイ州に何ヵ所かあって、全体で6500世帯が住んでいるそうです。パパコレアは、唯一ホノルル中心地にあるハワイアン保護区で1934年に指定されました。現在1800人が暮らしているそうです。国立太平洋記念墓地に行く途中に『Papakolea』)の標識がありました。『E komo mai 』はハワイ語で『いらっしゃ〜い』と言う意味だそうです。
パパコレアの丘からの眺め(前方にダイヤモンドヘッド)
   アリゾナ記念館ビジターセンター
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