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旅行記 ・アリゾナ記念館ビジターセンター− ハワイ(1) 2016.12.28
アリゾナ記念館ビジターセンター
アリゾナ記念館ビジターセンター
アリゾナ記念館ビジターセンター パールハーバー(真珠湾)観光で、『アリゾナ記念館』『戦艦ミズーリ』『太平洋航空博物館』などの歴史的スポットや展示物を見るのに、まず必要なチケットを入手したり手続きをしたいする施設が『アリゾナ記念館ビジターセンター』です。セキュリティーのため財布以外、小さなバッグも持ち込みできないため、2.5ドル出して手荷物は預けます。
アリゾナ記念館(右)とその後ろに公開されている戦艦ミズーリ
アリゾナ記念館へはビジターセンターからアリゾナ記念館と戦艦ミズーリを遠望することができますが、アリゾナ記念館へ行くには、ビジターセンターから米海軍の運航するボートでのみアクセス可能であり、ビジターセンターで番号が振られ出発時刻が記載された整理券を入手する必要があります。ボートに乗船する前にはビジターセンターで23分のドキュメンタリー映像を見、ここでは真珠湾攻撃に関する映像が流れます。記念館自体は各自での見学となります。
アリゾナ記念館
アリゾナ記念館 ハワイのオアフ島にある慰霊施設で1962年に建設された。1941年12月7日(ハワイ時間)に発生した大日本帝国海軍による真珠湾攻撃で、乗組員1177名のうち1102名が死亡し撃沈された戦艦アリゾナ及びその乗組員を追悼するとともに、真珠湾攻撃自体を記念する施設となっている。現在この施設は沈没した戦艦アリゾナの真上に建設されている。この真珠湾攻撃を引き金に太平洋戦争が開戦され日米が本格的に第二次世界大戦へと参戦した(アリゾナ記念館 - Wikipediaより)
戦艦ミズーリ
戦艦ミズーリ 1999年、戦艦ミズーリがアメリカ西海岸から真珠湾へと移され、アリゾナ記念館と垂直になる角度(アリゾナ本体とは平行)で一般公開された。ミズーリの甲板では1945年9月2日に東京湾においてダグラス・マッカーサー陸軍元帥やチェスター・ニミッツ海軍元帥のもと大日本帝国の降伏文書調印式が執り行われており、第二次世界大戦の終焉を象徴する軍艦である(アリゾナ記念館 - Wikipediaより)
展示されているアリゾナの錨(いかり)
アリゾナの錨(いかり) ビジターセンターには、アリゾナに取り付けられていた3つの錨のうちの1つと、2つの鐘のうちの1つが展示されています(写真上)。この3つの錨のうちのもう一つはアリゾナ州の州都フェニックスにあるボリン記念公園に、鐘のもう片方はツーソンにあるアリゾナ大学の時計塔にあるそうです(アリゾナ記念館 - Wikipediaより)
Japan's Bold Plan(日本の大胆な計画)
日本の大胆な計画 なぜパールハーバー(真珠湾)を襲撃したのか? 日本は、石油資源や他の資源を確保するために必要な征服一掃キャンペーンを始める計画を立てつつあった。それは一連の奇襲攻撃によって南アジアや太平洋を含む広大な領域を侵略することであった。アメリカの干渉を防ぐため、日本は米国太平洋艦隊を活動不能にすべく、まずオアフ島を攻撃した。その計画は複雑でリスクの大きいものであった。それは厳しいトレーニングと新しいタイプの兵器を必要とした。驚きは決定的であった。
見学者
日本はそれまでに組立てられた最も大きな航空母艦攻撃部隊を編成した。厳しい無線封止のもとで感知されないように太平洋を横切って4,000マイルを航行しなければならなかった。潜水艦隊は航空母艦を守り、逃げる戦艦を沈めるためオアフ島を取り囲んでいただろう。ミゼット潜水艦がパールハーバーに潜り込んで魚雷を発射していたであろう。(写真中の英文の和訳)
Pearl Harbor,December 7,1941
1941年12月7日の真珠湾 この地図は日本の襲撃があった日の朝のパールハーバー(真珠湾)を示している。185隻以上の船や支援艇がここに係留されていた。海には艦隊の三隻の航空母艦がいた。この海軍基地は軍艦の給油、修理・保守のための施設を持っていた。この入り江(湾)網は広大な停泊地を提供し、周囲の軍用飛行場と海岸砲台は艦隊のための防衛網となっていた(写真中の英文の和訳)
Before the Storm(嵐(襲撃)前夜)
(襲撃)前夜 オアフ島は戦争とは遠いところにあると思われていた。11月、戦争への警戒は正に解除されていた。1941年12月6日土曜日は、日常的な感じだった−いつもの週末の仕事や職務、いつもの夜のくつろぎ−その夜、白い制服を着た水兵たちは娯楽を求めてホノルルの街に群れていた。ほとんどの者にとって、長らくは来ない自由な夜の最後の夜であり、多くの者にとって生きている最後の夜となったのである(写真中の英文の和訳)
First Wave(最初の波(攻撃)
最初の波(攻撃) 1941年12月7日、爆発はオアフ島を横切って日曜日の朝の平穏を粉々に砕いた。日本の戦闘機は、地上にあった飛行機を破壊するためまず飛行場を攻撃した。それからパールハーバー上に集結した。急降下爆撃機は悲鳴をあげながら降下し、フォード島の左端において水上機基地に損傷を与えた。島の向こう側では、雷撃機は戦艦ユタを攻撃した。この側で、雷撃機は繰り返し戦艦行を攻撃した。魚雷の届かない爆弾戦艦へは爆撃機が嵐の突入して落ちていった。一個の爆弾が戦艦アリゾナの前方の)弾薬庫を爆発させた。アリゾナは巨大な火の玉となって爆発した(写真中の英文の和訳)
アリゾナ記念館ビジターセンター内の風景
   国立太平洋記念墓地(パンチボウル)
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