♪無言の語り部
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金吾様踊り − 鹿児島県さつま町
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当HP管理者のふるさとの伝統芸能の紹介です。鹿児島県さつま町は、今年(2005年)3月に3つの町が合併して新しくできた人口27,000余の町です。そのさつま町の中津川地区に伝わる『金吾様踊り』は、織田・豊臣時代にこの地方を治めていた祁答院(けどういん)島津家初代金吾左衛門尉歳久を祀る『大石神社』の境内で毎年9月18日に奉納される踊りで、島津藩政時代の名残りを色濃く伝えています。戦前から踊られてきた長い歴史を持ちながら一時期中断していましたが、村祭りの賑わいを取り戻そうと数年前に復活し、今年は6つの集落と地元の小学生および保育園児による7つの踊りが奉納され、訪れた人たちから、大きな拍手が送られていました。
                                            (旅した日 2005年9月)
金吾様(きんごさぁ〜)
祁答院島津家初代金吾左衛門尉歳久を祀る『大石神社』は、一般に『金吾様(きんごさぁ〜)』と呼ばれています。無資格社ですが、4月と9月に大祭があり、特に9月は金吾様踊りが奉納され、近郷近在の参詣客で賑わいます。鳥居に掲げてある額には、島津家の定紋である『丸に十の字』が彫り込んであり、また社殿最下部の軒瓦には一枚毎に、やはり丸に十の字の定紋をうった瓦が並べてあり、特別変わった神社です。ご神体は、1.5mの大石で、その下方に歳久と良重(歳久の前の領主)の法名が刻み込まれています。

鷹刺し踊り
『弓之尾集落』の踊り(鹿児島ハンヤ節を含む)。昔の領主は武士の修練と領民の動向視察の目的をもって農民を勢子(狩猟で鳥獣を狩り出したり、逃げるのを防いだりする人夫)に駆り立て奉公させました。この鷹狩の様子を踊りに仕組み、お祭りや殿様の領内廻りなどのときの武運長久と領内安穏、領民の安全を祈って踊るようになったといわれています。





鹿児島ハンヤ節






三尺棒踊り
『武、白猿集落』の踊り。藩主が一般の士気を鼓舞し、いざというときに備え、棒術を踊りに仕組んで農民に踊らせ鍛錬したものであるといわれています。
六尺棒踊り
『北方町集落』の踊り。踊りの手は、撃剣浅山流からあみだされたもので、藩主が一般の士気を鼓舞し、いざというときに備え、棒術を踊りに仕組んで農民に踊らせ鍛錬したものであるといわれています。


兵児(へこ)踊り
『尾原集落』の踊り。参勤交代の島津の殿様について長い行程を苦労しながら往復した兵児たちが旅の途中で士気を鼓舞し酒席の場で踊ったものだといわれています。 ※兵児(へこ)=鹿児島地方で、15歳以上25歳以下の男子のことをそう呼んでいました。 



こどもハンヤ節
『地元保育園児』の踊り。踊り手を引き立てようと、今年は『竹太鼓』が加わりました。園児の皆さん、とても可愛い所作でした!





虚無僧踊り
『別野集落』の踊り。虚無僧に変装して、仇討ちの本望を遂げたので、妻と喜んで踊った踊りであると伝えられています。所作のゆっくりした女性的で優雅な踊りです。



バラ踊り
『中津川文化財少年団(小学生)』の踊り。昔、敵の城に攻め入るとき踊り子に変装し、踊りながら攻め入った格好を踊りに仕組んだものだといわれています。
 
  
 金吾様踊りの風景  島津歳久の史跡を訪ねて
 
 
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