♪シチリニアーノ(バッハ)
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     旅行記 ・金吾様踊りの風景 − 鹿児島県さつま町  2008.09.21
  金吾様踊りの風景
   
鹿児島県の北西部中央に位置する薩摩郡さつま町は米どころ。
   
    
そのさつま町中津川地区では、九月の、
稲穂が色づきを深める頃、
金吾様踊りの幟旗が賑やかに立てられます。
   
   
金吾様とは、織田・豊臣時代に、ここさつま町一帯を
治めていた島津歳久公のこと。
地元では、親しみを込めて金吾様(きんごさぁ〜)と呼びます。

   
  
秀吉の九州征伐後も、秀吉に徹底して
反骨を見せるも、ついに秀吉の逆鱗に触れ、竜ヶ水(鹿児島市吉野町)で
自害して果てた悲運の武将でした。

  
   
 その歳久公をまつる『大石神社』は、無資格社ながら、
鳥居の額や軒瓦に、
島津家の定紋である『丸に十の字』のしるしをいただく神社です。
  
   
 
その『大石神社』境内で、
毎年9月18日(最近は、近い休日)に踊られる
奉納踊りが、『金吾様踊り』です。

 
   
戦前から踊られてきた長い歴史を持ちながら
一時期中断していましたが、
村祭りの賑わいを取り戻そうと数年前に復活しました。
 
  
  
『金吾様踊り活性化実行委員会』を中心に、
地域一体の取り組みのもと、
 六つの集落と地元の小学生および保育園児による踊りが奉納されます。
 
  
   
 金吾様踊り活性化実行委員会では、
さらに壮大な踊りであると言われる『大念仏踊り』の復活を
目指した取り組みがなされています。
 
  
その金吾様踊りの風景のいくつかをアップロードしました。
なお、踊りの様子は、
旅行記 ・金吾様踊り−鹿児島県さつま町 で見れます。
 
 
 踊り子も稲穂も濡れて島津雨  ワシモ
 
このページにアップした写真を撮ったあと、突然スコールのような土砂降りに見舞われ、泥まみれ、ずぶ濡れの踊りとなりました。金吾様踊り活性化実行委員会の会長をされている今東清光さんは、2年連続 ”島津雨” に祝福されたようです。私が ”雨男” でしょうか? しかし、地域の結束が強くなって来ました。− とおっしゃいます。源頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けて身ごもった丹後局(たんごのつぼね)は、頼朝の正妻・北条政子の逆鱗(げきりん)に触れ、追放されます。西国へ下る途中、摂津国住吉の住吉神社(現在の大阪市の住吉大社)の境内で男子を出産します。雨の降る夜更けのことで、狐が火を灯し無事に出産を終えたと伝えられています。島津氏の正史といもいうべき『島津氏正統系図』などによれば、この男子こそ、島津家初代当主・島津忠久だとされます。これにあやかって、鹿児島では、祝い事や門出のときに降る雨を『島津雨』(しまづあめ)と言います。 


 金吾様踊り   島津歳久の史跡を訪ねて
   
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