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旅行記 ・保内町の町並み − 愛媛県八幡浜市保内 2020.02
 
保内町の町並み
美名瀬橋と赤レンガ倉庫と桐万長の風景
愛媛県の西に突き出した佐田岬半島の付け根に位置する八幡浜市保内地区(旧西宇和郡保内町)は明治期に愛媛県内で一番早く電気がともったり、金融機関が一番早くできるなど、文明開化期をリードし、海運、鉱山、紡績など往時の主要産業が発展したところでした。町並みを歩けばその栄光を今に伝える建物や風景に出合うことができます。
桐万長 (きりまんちょう)酒造場
町桐万長 (きりまんちょう) 桐万長酒造株式会社は美名瀬橋のたもとにあう明治31年(1898年)創業の酒蔵。『桐万長』という蔵名は初代二宮萬太郎が、萬(よろず)長寿を願い名付けました。原料は『松山三井』(愛媛県のみで栽培されている米)を60%に精白し、同じく愛媛県で開発されたEK-1の酵母を使用し低温発酵させているそうです。
もっきんろーどと赤煉れんが倉庫
旧東洋紡績赤レンガ倉庫 四国初の紡績業として明治20年(1887年)に宇和紡績会社が創立されます。明治38年(1905年)に白石和太郎が買い受けて白石紡績所なり、さらに経営者が変わり大阪紡績会社となりました。そして大正3年(1914年)から東洋紡績株式会社川之石工場となり、地域経済の発展に大きな役割を果たしました。
もっきんろーどと赤煉れんが倉庫
その当時の川之石地区には東洋紡績の工場が16棟も建設され、現在のこっているのは、そのうちの原綿倉庫として利用されていた赤レンガ倉庫と関連施設だそうです。今も倉庫の壁にはうっすらと『東洋紡績川之石工場』の文字が残っています。昭和3年(1928年)頃が川之石工場の最盛期で、当時川之石町民の3人に1人は同工場の従業員だったそうです。
旧東洋紡績赤レンガ倉庫
昭和35年(1960年)に閉鎖。宮内川に沿って建つ赤レンガ倉庫は川之石地区の黄金時代を象徴する貴重な建物となっています。赤レンガ倉庫の手前にある美名瀬橋(みなせばし)は昭和8年(1933年)竣工の橋で、当時の親柱は灯籠の役目を果たしていたそうです。ロケーションの良さから映画の撮影に用いられているそうです。赤レンガ倉庫から川沿いに続く『もっきんろーど』は最適なお散歩コースになっています。
宮内川と家並み
宮内川青石護岸 宮内川の河口付近約 350メートルにわたって『宮内川青石護岸』と呼ばれる綺麗な独特の石積みの護岸を見ることができます(上下の写真)。愛媛県の伊予地方で産出する通称・青石と呼ばれる緑泥片岩を矢羽根積という方法で積んだ護岸です。
宮内川と家並み
この青石には石の特徴として丸くは割れないけど剥げるように真っ直ぐに割れる性質があります。そこで、細長く割った石を段ごとに交互に傾斜を設けながら積んでいきます。これが矢羽根積という積み方です。宮内川青石護岸は昭和初期に施工されたものといわれ、平成28年度に(財)土木学会から推奨土木遺産の認定を受けました。
旧白石和太郎洋館
旧白石和太郎洋館 鉱山経営や紡績業等で財を成し名を馳せた事業家・白石和太郎(1868〜1915)によって明治30年(1897)年代に建てられたと推測されている建物です。玄関や窓の上部の屋根に施されたペディメント、上下スライド窓を彩るアーチと柱状の窓枠など、木造瓦葺きの建物に洋風建築を意識したデザインを取り入れた擬洋風建築物。1階の室内は近代的なオフィスの雰囲気を思わせ、2階は小規模な個室に分かれ住宅を思わせます。
旧白石和太郎洋館
昭和25年(1050年)より平成元年(1989年)までは、川之石ドレスメーカー女学院(のちに川之石ドレスメーカー専門学校と改称)として使用されました。旧東洋紡績の女工さんたちや近郷近在のうら若き乙女たちの憧れの殿堂でした。地域の人々には『ドレメ』という愛称で親しまれました。平成14年(2002年)、町が買上げて保存。明治の繁栄と専門教育の歴史を今に伝えています。
愛媛蚕種株式会社(旧日進館) 
愛媛蚕種株式会社(国登録有形文化財) 蚕種(蚕の卵)製造業に関する建物群。明治17年(1884年)、呉服商兵頭寅一郎が麓屋の号ではじめ、日進館、のち愛媛蚕種株式会社となる。同時に登録された3棟の建物の内、事務所・玄関は、木造2階建て鉄板葺き一部スレート葺きで、明治後期の建築と伝えられる。玄関扉上部に浅いポーチを張り出し、1階の上下スライド窓の上部には三角ペディメントを施した洋風の外観。
愛媛蚕種株式会社(旧日進館)
第1蚕室・第2蚕室は木造瓦葺きで、大正8年(1919年)の建築といわれ、洋風建築を象徴するトラス構造である。玄関に続く第1蚕室が3階建て、奥の第2蚕室は地盤が1階分高いところに建つ2階建てで、2つの建物の間は赤レンガ壁で仕切られている。両蚕室とも外壁にあたる部分のほとんどを建具で構成する特徴的な外観を示している。現在も操業し、地域の産業発展の歴史を今に伝える貴重な建物である。以上、現地の説明板より。
味噌醤油のカワイシ本舗・大正8年(1919年)創業
 
⇒ 旧白石和太郎洋館
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